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「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

亀津・高千穂神社(徳之島町)

徳之島の神社の中でも、一番格式が高そうな神社ですね。鳥居の下は、普通に車や人がの通る生活道路です。

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二番目の鳥居から、かなり長い参道の石段を登ります。

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ここは三十三聖地旧跡の三十三番拝所。亀徳から島を1周して、ここが最後の拝所です。札所巡りだとここで結願ということになりますが、・・・。

この石柱が建っているのも見慣れた光景になりました。何か所に行ったのか数えてみると、多分ここで15か所目ですね。半分も行ってません。

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境内の社殿の前にに3つ目の鳥居があります。

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社殿の建物は、それほど大きくもなく、きらびやかさもありませんが、どことなく風格があります。

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狛犬の表情がちょっと変わってますね。

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この神社の由緒は境内の説明板に詳しく書かれています。
明治初めの政府の神仏分離令を受けて、廃仏稀釈運動が起こり、明治2年に高千穂神社が創建されたとあります。徳之島では、亀津、面縄、阿布木名の三ケ方に高千穂神社を鎮座して祭礼を執行したところ、仏教も次第に衰えて神道を信仰するようになったそうです。戦時中は出征兵士の武運長久を祈願する神社として信仰を集めました。明治以降の徳之島の信仰形成の流れを知る貴重なものとして、昭和51年に徳之島町指定文化財になっています。

菅原神社、松原神社も合祀されています。

神社庁HPによると、ご祭神は、
・天津彦火瓊瓊杵尊(アマツヒコホノニニギノミコト)
・従五位陸奥守島津貴久公(ジュゴイムツノカミシマヅタカヒサコウ)
・菅原道真公(スガワラミチザネコウ)
だそうです。

島津貴久は戦国時代に薩摩を支配した島津家の15代当主ですね。島津の英主と言われた人物です。島津貴久は鹿児島の松原神社に祀られていますが、明治9年に、御分霊を勧請して高千穂神社の境内社としたそうです。

明治9年と言えば、西南戦争の前年ですね。わざわざそんな時期に島津家の神様を勧請してきたのは、どんないきさつがあったのでしょう。

菅原神社の方は安住寺跡に明治3年に創建されたものです。安住寺跡は徳之島の学校教育の始まりとなった小学校が創設された場所です。