「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

トーチ墓と金毘羅神社(亀津/徳之島町)

「殿地墓・金毘羅神社入口」と書いた案内から、石垣の間の細い路地を抜けていくと、殿地(トーチ)墓のある場所に出ます。

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墓は何段かになっていて、上の方は草むらの中にいくつかの墓が点在しています。

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中段の辺りににあるのは、祠堂型墓、五輪塔、宝篋印塔(ほうきょういんとう)ですね。大島でも五輪塔は見かけますが、宝篋印塔を見るのは初めてです。享和、文化、天保などの元号が入っているそうです。

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この墓地は、代官本田孫次郎(文久元年1861没) も葬られていて、徳之島の墓地の中でも格式の高い墓地だそうです。どれが代官の墓なのかはよく分かりません。
本田孫次郎は、大島代官で「大島私考」を書いた本田孫九郎に名前がよく似ています。同じ一族なのでしょうか。


トーチ墓の奥から、山の上に入っていく道があり、途中にコンクリート製の鳥居が3基建っています。
これは参道入り口の最初の鳥居です。

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2番目の鳥居には昭和拾壱年と書いてあるのが読めます。

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3番目の鳥居の先は少し広くなっていて、こじんまりとした社殿があります。

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この辺りの地名は地元でコンピラサンと呼ばれていて、1659年の薩摩藩の検地のときに、金毘羅山と書き改めたそうです。だとすると、その頃にすでに金毘羅信仰があったということになります。
金毘羅さんは海上安全の神様ですから、ここで代官たちが航海の無事を祈ったものと思われます。

 

内部を少し拝見します。正面に3基の石碑が並んで建っています。文政年間(1818~1829)や文化15年(1818)の文字が刻まれているそうです。

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ところで、同じ亀津の街の1kmほど北側にある秋葉神社にも、金毘羅様が祀られています。どういう経緯で2か所にあるのか、何も説明がないので、よく分かりません。