「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

亀津安住寺跡と亀津学士村(徳之島町)

亀津安住寺跡は、亀津市街を見下ろす崖の上にあります。

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徳之島最初の仏教系寺院で、徳之島の古記録「前録帳」には、元文元年(1738)に井之川に臨済宗安住寺が創建されて、全島民の宗旨が禅宗になったと書かれているそうです。安住時は延享元年(1744)に亀津村に移り、明和7年(1770)に伊仙町義和山に移され、天保3年(1832)には再び亀津へ移されています。


大島で、赤木名観音寺が役所の移転に合わせて、場所を変えていったのと何となく似ています。明治の廃仏毀釈によって廃寺となって、同じような運命を辿りました。尤も観音寺の方は、同じ禅宗でも曹洞宗で、こちらは臨済宗ですから、宗派が違います。

 

教育委員会の案内板の横には、石碑が建っています。

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安住寺跡 明治五年
全島學校教育濫觴之地
 昭和五十五年三月建立
 徳洲新聞社

「濫觴」とは、難しい字ですね。調べて見ると、「らんしょう」と読むらしいです。孔子のことばからとったもので、物事の始まりとか、起源とかの意味だそうです。昭和55年にもなって(それも新聞社が)、こんな難解な漢字を使っているのは、ちょっと珍しいですね。

それはともかく、
この安住寺の跡地を地元の有志達が買い取って、全島から子供たちを集めて、明治5年に簡易小学校を開設しました。これが亀津小学校に引き継がれ、徳之島での学校教育の始まりとなりました。後に帝国大学出身者を多く輩出するなど、「亀津学士村」と言われて、旺盛な向学心を育む原点になった場所でもあります。

碑の裏側に、その辺りの事情が書いてあるようですが、字が掠れてほとんど読み取れません。

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ここは亀津市街や海が一望できる場所です。

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すぐ隣の方は上殿地と呼ばれ、琉球支配時代からの役所がありました。海岸には蔵屋敷や郷士泊と呼ばれる施設があったそうです。


安住寺が最初に建立されたという井之川にも、県道のそばに井之川安住寺跡があって、案内板には亀津の方とほぼ同様のことが書いてあります。

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