「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

戦艦大和慰霊塔(犬田布岬/伊仙町)

犬田布騒動記念碑から、さらに先の犬田布岬へ。突き当りの広い駐車場に着きます。駐車場から岬の先端に向かって遊歩道が延びています。

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ここからはまだ、戦艦大和の慰霊塔は見えません。

遊歩道を歩くと、波の砕ける音がだんだん大きくなってきて、やがて左前方、草原の向こうに慰霊塔が見えてきます。かなり大きいです。合掌する人の手に見えますね。

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右の方を見ると、岩壁に波が砕け散っています。雄大な景観です。犬田布岬は奄美十景の1つだそうです。

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周囲には錆びついた碇とか置かれています。左側の像はお地蔵さんです。「大和地蔵尊」とあります。ここは二十四番拝所でもあります。

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戦艦大和を旗艦とする艦隊戦士慰霊塔」これがこの塔の正式名称のようです。宣仁親王の筆です。

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艦隊とは第二艦隊で、軽巡洋艦矢矧、駆逐艦雪風、濱風、磯風、朝霜、霞、初霜、冬月、涼月です。風流な名前がついてますね。

 

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大和というと艦隊決戦を想定した大鑑巨砲主義の最後の名残りで、時代遅れの象徴のように言われています。

ミッドウエーやトラック島に出陣しますが、戦闘の機会なく、マリアナ沖でも活躍の舞台は与えられませんでした。レイテ沖では大和の同型艦武蔵は米軍航空機の集中攻撃を受けて沈没します。そして大和は、ここで空母部隊と遭遇し初めて敵の空母1隻(小型の護衛空母7800屯)を撃沈しますが、大和を旗艦とする栗田艦隊はレイテ湾を目前にして、「謎の反転」で突入を断念して空しく引き返します。巨大戦艦も、圧倒的な航空機兵力の前には無力でした。

昭和20年4月1日米軍が沖縄に上陸、4月5日大和に出撃命令が下ります。目的地は沖縄、片道分の燃料で特攻、浅瀬に乗り上げて砲台となれ」というものです。第二艦隊司令長官伊藤中将は当初作戦に反対しますが、連合艦隊司令部の「一億特攻のさきがけになれ」ということばを聞いて出撃を決意します。

4月6日午後4時徳山沖から出撃、2時間後に甲板に集められた乗組員にこの出撃が生還を期さない「特攻」であることが告げられました。4月7日早朝8時15分米軍索敵機に発見されます。12時32分、米軍第1次攻撃隊100機が来襲、急降下爆撃を開始、12時45分魚雷1本が大和の左舷に命中。大和の対空砲火は厚い雲で照準を合わせられません。

13時34分雷撃機からの5本の魚雷が左舷に命中。左20度傾くが注排水システムでバランスを復元します。片側だけ狙う米機の巧妙な攻撃に、やがてシステムも限界に達し、平衡を取りもつことができなくなります。14時17分の魚雷命中で傾斜は急速に拡大し、長官は特攻作戦中止を命令。14時23分大和は大爆発して沈没します。

死者は3000人余り。大和の沈没は日本海軍の滅亡を象徴するものでした。

※参考『その時歴史が動いた「戦艦大和の悲劇」 』(NHK/2005年)

 

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碑には、「祖国を護る勇士よやすらかにお眠り下さい」と刻まれています。