読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

犬田布騒動記念碑(伊仙町)

県道から戦艦大和慰霊碑がある犬田布岬に行く途中に「犬田布騒動記念碑」があります。騒動の犠牲者の子孫、親戚が、100年祭を記念して昭和39年に建立したものだそうです。右側の石柱には「二十五番拝所」とあります。

f:id:hn2784:20160122133910j:plain

 

記念碑からかなり離れた道路のそばに案内があります。

f:id:hn2784:20160122133426j:plain

犬田布の農民福重という人物が、上納する砂糖の見積り高が不足だという理由で、代官所の附役寺師次郎右衛門からきびしい取り調べを受けました。当時、薩摩藩は砂糖をすべて買い取っていて他へ販売することを禁じていました。高齢の福重がの身代りになって拷問を受けたのが為盛です。
これを知った農民たちは、日頃の苛酷な収奪に対する反感もあって怒りを爆発させます。元治元年(1864年)3月18日、為盛救出のために150年余りが団結して仮屋を包囲しました。寺師次郎右衛門は一旦は逃走しますが、島役人を集めて戦備を整えます。やがて農民側も団結が崩れて騒動は治まりました。首謀者6人が遠島処分になりましたが、この騒動の後、徳之島の砂糖取り締まりは緩和されるようになったそうです。


この太田布騒動は、徳之島の歴史上非常に重要な事件だったようで、徳之島の歴史や史跡についての案内やウエブサイトなどには、必ず出てきます。(資料によって少しずつ内容に違いがありますが、・・)

 

碑のすぐ近くにもう1つ「歴史の見直し」と題した案内板があって、そこには「義を篤く愛する勇気ある島民の行動を『騒動』とするのは公正さを欠く不適切な表現であり、薩摩侵攻400年の節目を機に名称を『犬田布義戦』と改める」などと書かれています。

f:id:hn2784:20160122133957j:plain

 

『大奄美史』(昇曙夢)にも、犬田布騒動の事が書かれていますが、ここでは「百姓一揆」という表現をしています。ちなみに、『大奄美史』では、騒動の年を文久2年(1862)3月としていて、現地案内とは2年の開きがあります。(他にも文久2年としている資料があります)。2通りの原典があるのでしょうか。