「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

鹿浦小学校旧奉安殿(伊仙町)

旧奉安殿があるという鹿浦小学校へ。校門から見た限りでは奉安殿らしきものはありません。休日だったのですが、職員室におられた先生に声をかけて校舎背後にある奉安殿まで案内してもらいました。先生は郷土研究に詳しい方で、徳之島のことをいろいろお聞きすることができました。

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徳之島には他の小学校にも奉安殿があったそうですが、占領軍が上陸してきたときに取り壊されてしまいました。この小学校は目立たない場所にあったため、取り壊しを免れたそうです。神社風ですが、かなり手の込んだ造りになっているように見えます。

銃弾の跡が生々しいですね。今まで見てきた奄美大島の奉安殿にはなかったものです。

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米軍機による奄美空襲は昭和19年10月に始まり、以後頻繁に繰り返されるようになりました。この奉安殿への機銃掃射がいつだったか、記憶している人は見当たらないと言います。


戦争中の空襲のことなどは、体験した人もいなくなってきて、どんどん記憶は風化していってしまいます。話として伝えていくだけでなく、時代を象徴するものを形あるものとして残していくのは、とても貴重なことだと思います。廃校になったために傷んでしまっている奉安殿も見てきましたが、やはりこういうふうに、そのままの形で残してほしいですね。

 

校舎背後の道路上からみたところです。校舎の前には海が広がっています。

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道路そばには奉安殿の案内によると、

鹿浦小学校旧奉安殿は昭和13年に、学校職員、生徒、地域住民の共同作業で建築が始まり、完成したのは昭和16年です。天皇皇后両陛下の御真影と教育勅語が納められていました。平成19年に登録有形文化財に指定されています。現在は卒業生のタイムカプセル保管庫として活用されているそうです。

奄美各地の奉安殿の写真が出ています。

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ここに写真のないものも含めて奄美群島全体で12カ所に残っているそうです。ちなみに私が見た奉安殿はここが7カ所目です。後、見ていないのは喜界島(2カ所)、請島、沖永良部島などにあるもので、この先も見ることが出来るかどうか分かりません。