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「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

本土復帰の指導者・泉芳朗銅像 (伊仙町)

義名山神社から本通りに戻ってすぐ先に、泉芳朗頌徳記念像の案内があります。

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あまり人影のないところですが、公園のようになっています。徳之島では、記念碑などは広い敷地に建っていることが多いです。

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手前のパネルによると、泉芳朗氏は「復帰の父」と呼ばれる人で、奄美群島島民の悲願であった日本復帰実現のための中心的存在として、復帰運動の先頭に立った人物です。平成9年に伊仙町名誉町民に選定され、同時に記念像が建てられました。

パネルの写真です。

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あまり運動のリーダーのようには見えません。学校の教師であり、詩人でもありました。

奥の方に記念像が建っています。

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手に掲げ持つ「日の丸」が印象的ですね。
当時軍政府により掲揚を禁じられていた日の丸を、郡民大会の壇上で打ちふって、「これがわれらの祖国日本の旗です」と郡民の決起を呼びかけたそうです。

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大会の後、名瀬高千穂神社の拝殿で、五日間に及ぶ断食祈願を行い、祖国復帰の悲願を訴えました。

復帰が実現したのは昭和28年12月25日、碑文には泉芳朗の歌った詩が書かれています。

  流離の月日はおわった 苦難のうず潮は去った
  この目にあおぐ 日の丸の空
  見よ 高らかに花火を打ち放って ぞんぶんに湧きかえる
  うからやから われらもろもろ いまぞ 祖国に帰る

 

沖縄返還などに比べると、奄美群島の祖国復帰のことは、関係者以外には知る人もほとんどいなくなってきているように思います。