読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

義名山神社(伊仙/伊仙町)

伊仙町役場で簡単なガイドマップを入手、町立歴史民俗資料館に寄ってから、台地の方に向かって整備したばかりのきれいな舗装道路を北上します。この辺りは海岸沿いよりも台地の方に史跡が集中しているようです。途中に二十七番拝所である義名山神社の案内があります。

f:id:hn2784:20160122105128j:plain

横道に入っていくと、道路周りの樹々が増えて聖地らしい雰囲気が出てきます、やがて広い駐車スペースのある神社の鳥居下に到着。

f:id:hn2784:20160122105440j:plain

 

階段の隣は慰霊碑があります。

f:id:hn2784:20160122105455j:plain

左は戦没者慰霊碑で昭和54年に建てられたもの。碑文には、さきの支那事変、大東亜戦争での伊仙町出身者の英霊498柱を慰霊しているとあります。右側の碑は忠魂碑と書かれていてかなり古いものです。明治三十八年・・という字が見えるので、日露戦争の戦死者を祀っているようです。

 

石段を登りきると正面に社殿。新しくて大きな建物です。

f:id:hn2784:20160122105650j:plain

内部も広くて椅子が並べられています。文化財になっている古い石像が祀られているそうですが、外からは確認できません。

f:id:hn2784:20160122105900j:plain

こちらは神殿です。千木は内削ぎで堅魚木は5本です。

f:id:hn2784:20160122105943j:plain

境内に案内等はありませんが、神社庁ホームページに義名山神社のことが出ています。
•神社名:義名山神社(ギナヤマジンジャ)
•例祭日:旧八月十五日
•旧社格:村社
御祭神
•天津彦火火出見尊(アマツヒコホホデミノミコト)
•応神天皇(オウジンテンノウ)
•神功皇后(ジングウコウゴウ)
•天津彦火瓊瓊杵尊(アマツヒコホノニニギノミコト)
神事・芸能:旧八月十四日~十五夜祭
由緒
創建は天保十五年八月奉献の石碑や文化十三年八月奉献の疱瘡安全祈願の石碑からそれ以前と思われ、正八幡様と称した。
大島郡は、明治四年霧島神宮より祭神天津彦火瓊々杵尊を勧請の儀相成り、伊仙村においても伊仙一六五二番地に鎮座、村社高千穂神社として、西八幡、東高千穂と両社共同して祭礼を執行していたが、明治二十三年の大風害により東高千穂を西八幡に合祀し、鎮座地名をとり村社義名山神社と呼称し現在に至る。

 

明治2年に徳之島の3つの間切に、それぞれ高千穂神社が建立された筈なのですが、伊仙町にだけ高千穂神社と名の付いた神社がなさそうなので、どうなっているのかと不審に思っていました。どうやら古くからある八幡様と合祀して、義名山神社と呼ぶようになったようです。(上の文では明治2年ではなく明治4年になってるので、違っているかも知れませんが・・)


拝殿前の狛犬です。体つきも顔つきも堂々としていますね。左右ほぼ同形です。

<阿形>

f:id:hn2784:20160122105810j:plain

<吽形>

f:id:hn2784:20160122105805j:plain

上の方の狛犬の背後の木の枝にびっしりとおみくじが結び付けられていました。初詣にはたくさんの地元の人が訪れているようです。