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「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

目手久八幡神社(伊仙町)

亀津市街をいったん後回しにして、今回から伊仙町です。

伊仙町役場のホームページを見ると「長寿・子宝の町」というのが強調されています。「長寿」は泉重千代さんですね。全国的に有名になりました。

もう1つの「子宝」の方は、トップページにこんなのがあります。

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この数字は伊仙町の合計特殊出生率(女性1人が生涯に産む子供の数の推計値)で、日本一だそうです。全国平均が1.42くらいですから倍近いですね。家族だけでなく周囲の人々が、地域で子どもを大切に育てる文化があるそうです。

 

さて、伊仙町の最初の史跡は目手久八幡神社です。集落を通る県道のそばにあります。

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参道には目手久八月踊りの記念碑があります。

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立踊りとも呼ばれて、徳之島では井之川夏目踊りと並ぶ本格的な八月踊りだそうです。昭和53年2月に伊仙町の無形民俗文化財に指定されています。
碑には歌詞が一番から十二番まで書かれていて、こんなに長いのも珍しいですが、意味はよく分かりません。

一番奥に八幡神社の社殿。いかにも神社らしい雰囲気の佇まいです。床、軒、棟の黄色いラインがポイントでしょうか。

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神社由来が詳しく書かれていますが、長いので勝手に要約します。

「奄美では7.8世紀から12,3世紀頃は按司と呼ばれる地方の権力者が祭祀を司っていた。その頃の神様は八百萬の神、カンギャガナシ(神ガナシ)で、トートガナシを唱えて五穀豊穣、無病息災を祈っていた。明治2年の神仏分離令により奄美でも神式による祭祀が行われるようになり、明治20年ごろに八幡神社が勧請された。大正15年には神社は集落の中心に移されて、集落の守護神として親しまれてきた。戦争や台風によりご神体を喪失してしまうが、その後活気を取り戻した氏子、郷友たちが神社再建を希望し、昭和48年10月石清水八幡宮から改めて御祭神を勧請した。」

井之川八幡神社がハブ被害撲滅祈願のために無理矢理?勧請させられたのに比べると、同じ八幡神社でも成り立ちはいろいろあるようです。
※参照(過去記事)井之川八幡神社と朝潮太郎銅像(徳之島町) - 「大奄美史」紀行

 

境内には、招魂碑も建っています。昭和32年に建てられたものです。

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ここは「三十一番拝所」です。鳥居の脇に建っています。

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