「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

天城高千穂神社(平土野/天城町)

平土野港の近くの交差点で、高千穂神社の案内が見えたので行ってみました。徳之島に来てから最初の神社です。

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入口に教育委員会の案内があります。

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高千穂神社
明治二年、島詰官氏によって大隅国霧島神社から分社され、徳之島三間切にそれぞれ建立。天城では阿布木名村(天城集落、現在の樟南第二高等学校)近くに建てられ、村民の氏神として二月九日・九月九日は全村民がお参りをした。
その後平土野原(旧役場駐車場)に、さらに同地に旧役場が開設されたため高釣に一時移され、平成十七年六月十五日に現在の地に戻された。
天城町教育委員会

上の説明の「島詰官氏」というのがよく分かりませんが、建立が明治2年ということですから、奄美大島の多くの高千穂神社と同じ時期です。神仏分離令が出て、薩摩藩で激しい廃仏毀釈運動が起こった時に、藩の命令で建立されたものと思われます。

※参照(過去記事)奄美の神社(2) 高千穂神社 - 「大奄美史」紀行

 

神社は何回か、場所を移動しているようです。最初に建てられたという樟南第二高校のある場所はここから1kmくらい離れた所です。

 

鳥居はやや細身です。平成17年に移されたといいますから、その時のものでしょうか。

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ここは十五番拝所です。鳥居の手前に建っています。

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参道を通り、狛犬の先を右に直角に回った奥に社殿があります。

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社殿の方は築10年という感じではないので、建物ごと移してきたようです。


高千穂神社のある平土野は、役場もあって天城町の中心街のようです。
『天城町誌』によると、「明治23年天城村の戸長だった喜界島出身の浜上謙翠は、海運関係での発展を見越して、阿布木名村にあった戸長役場を、平土野原に移転した」とあります。

浜上謙翠については、『大奄美史』(昇曙夢)でも、大島各島の航路開拓など交通文化の恩人としてその業績を詳しく紹介しています。ただ、なぜ喜界島出身の人が徳之島に住んでいたのかについてはよく分かりません。