「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

塩田発祥之地記念碑(徳之島空港)

1月下旬に奄美大島からさらに先の徳之島迄行ってきました。徳之島を訪れるのは初めてのことです。
徳之島のことは一般にはあまり知られていないように思います。私もつい最近までは、朝潮(先代)の出身地であることや長寿日本一の泉重千代さんがいたこと、闘牛が盛んだということ位しか知りませんでした。

ということで、知られざる徳之島の姿を知るべく、役場のHPなどで多少の予備知識を仕入れておきました。短期間に効率よく見て回るには、いいマップを手に入れておくことも欠かせません。道路の案内などがどの程度整備されているのかは行ってみないと分かりません。

あいにく天候が非常に悪い時期にぶつかってしまいました。きれいな海は見れそうにもなく、ガイドブックにあるような景勝地は予定から外して、ほとんど史跡だけに集中することにしました。

そういうことで、今回からこのブログは、しばらくの間「徳之島シリーズ」になります。

シリーズ初回は「塩田発祥之地」です。塩田の話は聞いたこともなかったので、初回に紹介する史跡としてはちょっとマイナーかと思わないでもなかったのですが、調べていくと必ずしもそうでもないようです。

記念碑は空港ターミナルビル南側の芝生に滑走路を背にして建っています。

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プレートに碑文が書かれています。

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この地(塩浜)は、塩田発祥の地なり。明治11年天城町浅間出身碇本宮多恵氏は、土佐の国に塩の製法を学び、この地に初めて塩田を開き製塩に従事せり。また、その技法を同志・後輩に伝え、以来本島唯一の製塩地として発展、昭和34年まで82年の歴史の基を開けり。依って先人の業績を称え碑を建て之を刻す。
簡潔で分かりやすい説明です。

碇本宮多恵氏(どう読むのでしょう)の伝えた製塩法はヌキ塩炊きというものだそうです。海辺の石を除去し、窪みや岩礁を整地して固め上に白砂を撒いて塩田を作ります。この白砂に海水を含ませて乾燥した白砂を大きなナベに入れて塩分の濃度を高めて炊く方法で、他の地方より歩留まりが良かったそうです。
塩田は太平洋戦争時は軍の飛行場となり、働いていた人も空港の整備・復旧にかり出されました。
戦後はすぐに復活し、本土からの物資が途絶えた時代に脚光を浴びて、沖縄にも出荷するほどでした。業者も増えて塩業組合ができましたが、本土復帰による専売法の適用で解散し、昭和34年には82年の製塩の歴史が終わりました。碑は明治の早い時期から、地元の人たちの力で1つの産業を興した、誇りある歴史を刻んでいます。
※参考『碑のある風景』(籾芳晴)

 

こちらは徳之島空港の滑走路側。この辺りも塩田だったのでしょうか。

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空港の愛称は徳之島子宝空港だそうです。

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徳之島の3町(伊仙町、天城町、徳之島町)が市町村別の出生率(合計特殊出生率)上位3位を独占したこともあるそうです。子育てに余程いい環境なのかも知れません。