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「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

平家一族鎮魂の供養塔・赤間神宮の七盛塚(下関)

前回の赤間神宮の続きです。

拝殿の左手奥には、壇ノ浦で滅びた平家一門を供養する七盛塚があります。奥の方にずらりと墓碑が並んでいます。

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光線の加減か奥の方が薄暗くなっていて、ちょっとした演出効果があります。

 

入口には高浜虚子の句碑があります。

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昭和3年に虚子が下関を訪れたときに詠んだ句で、碑は昭和30年に建てられたものです。
文字が薄れていてはっきりしませんが、横に札が立っています。
 七盛の
 墓包み降る
   椎の露
   高浜虚子


ここには墓碑の配列が書かれています。

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これによると、前後2列になっていて、前列はすべて平氏一族で、右から有盛(ありもり)、清経(きよつね)、資盛(すけもり)、教経(のりつね)、経盛(つねもり)、知盛(とももり)、教盛(のりもり)の順に7基並んでいます。後列にも7基あって、一番左が従二位尼平時子のものです。七盛塚といいますが、前列で名前に盛がついているのは5基です。語呂がいいからなのでしょうか。

あまり関係ないかも知れませんが、奄美大島の瀬戸内町小名瀬という集落には、平家の落人の墓だと言い伝えられるナナツバカ(七つ墓)というのがあるのを思い出しました。七という数字に何かの意味があるのかも知れません。

 

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右端が「左少将 平有盛」、1つおいた中央寄りが「右中将 平資盛」。どちらも奄美大島の伝承では、大島に落ちのびて居を構えた武将ですが、何故か三武将のもう一人、平行盛の名はありません。大島では消息が一番多く残っている人物なのですが、・・・。

行盛の官位は正五位下で、資盛(従三位)、有盛(従四位下)に比べると、ちょっと低いので、そのせいですかね。

 

七盛塚の手前には芳一堂があります。

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ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の平家物語を元にした怪談で有名な「耳なし芳一」の像が祀られています。物語の舞台になっているのが阿弥陀寺(今の赤間神宮)だそうです。