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「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

海軍給水所跡(久慈)

久慈集落で地元の人に震洋隊基地の場所を聞いた時に、「こんなのもありますよ」と一緒に教えてもらったのが海軍給水所跡である。

集落手前の湾が一番切れ込んだところにあるのが水産物の水揚げ場らしく、建物やトラック、運搬具などが並んでいる。間を入って行くと、周囲とは一風変わった赤っぽい建物が見えている。

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レンガ造りのレトロな建築で、軍の施設特有の黒っぽいコンクリートの建物を見慣れた目には、軍事施設というよりは文化遺産か産業遺産のような雰囲気がある。

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窓もドアーも何もないから普通の建物でないのは分かるが、教えてもらわなければ貯水タンクだとはとても分からない。

案内板のようなものは何もない。ネットでの情報では、給水施設ができたのは明治28年頃(明治44年と書いている資料も)、水量は360トンだという。給水タンクから桟橋の突堤まで水道を引いて、伝馬船で戦艦や輸送船に水を補給していた。

久慈湾は明治中期から南西諸島の防備の要として軍港に指定されていた。

大島南部に残っている軍事施設の多くは、昭和16年以降の太平洋戦争時に設置されたものである、それ以前のものとしては、大正10年前後に大島海峡防備のために東西の海峡入口の両側に構築された要塞が残っているが、さらに前の明治期のものを見るのは、この久慈の給水所が初めてである。他には多分ないのではないだろうか。そういう意味では貴重な旧軍の遺産である。

給水施設より早く、明治24年には海軍石炭貯蔵庫が設置されたという。この場所にあったのだと思うが、これは何も残っていないようだ。

 

建物の横の斜面を登ってみる。上は当然屋根ではなく、蔦などに覆われているが確かに貯水槽であったことが分かる。

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集落反対側の和嘉公園の方から見たところ。中央が給水所跡で、背後を県道が通っている。

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