読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

第44震洋隊格納壕跡と遭難者之碑(久慈)

瀬戸内町久慈の第44震洋隊基地跡を見に行く。

大島海峡には太平洋戦争末期、加計呂麻島の呑之浦に第17震洋隊、三浦に第18震洋隊、本島側の久慈に第44震洋隊と3つの震洋隊基地(特攻基地)があった。

f:id:hn2784:20151104114252j:plain

※第17震洋隊、第18震洋隊については過去記事参照
震洋隊基地跡 (呑之浦) - 「大奄美史」紀行
震洋隊基地跡その2 (呑之浦) - 「大奄美史」紀行
第十七震洋隊基地跡(三浦) - 「大奄美史」紀行


基地のあった場所の大体の見当はつけていたのだが、海岸まで行く道が見つけられず、集落まで戻って地元の人に教えてもらう。久慈集落からかなり離れたところで大規模な工事が行われていて、現場の人に再度聞いてみる。ユンボが何台も動いている間を通り抜けて、ようやく海岸に降りる道が分かる。

f:id:hn2784:20150613124002j:plain

海岸に出ると海に2,3隻の船が浮かんでいる。ここは真珠の養殖場とのことだ。

f:id:hn2784:20150613124134j:plain

左手の建物は作業小屋のようだ。白い犬がこちらを見ている。

f:id:hn2784:20150613132159j:plain

 

教えられた通り、浜を作業小屋とは反対側の右の方に向かう。

f:id:hn2784:20150613124204j:plain

深く入り込んだ久慈湾の中にあり、海面は波一つない静かさだ。浜はそこそこの幅はあるのだが、砂浜ではなく一面に小さな砕石が敷き詰められている。角が尖っていて普通の靴ではかなり歩きにくい。

右手の灌木の中を注意深く見ながら歩いていくが、なかなか格納壕跡らしいものは見つからない。
10分ほど歩いたところでようやく埋もれかかった壕を見つける。

f:id:hn2784:20150613124903j:plain

見えているのは天井近くの部分だけのようだ。内部は土砂でほとんど埋もれてしまっている。

f:id:hn2784:20150613125002j:plain

 

1つ見つけたのに気を良くして、なおも先に行くが次がまたなかなか見つからない。

小さな出っ張りを2つほど回ったところで樹木の間に何かあるのを見つける。入って行くとちょっと広くなったところに石碑が建っている。

f:id:hn2784:20150613130114j:plain

少し読みにくいが「震洋隊遭難者之碑」とある。昭和30年11月に厚生省が建てたものだ。

f:id:hn2784:20150613130019j:plain


当時第18震洋隊の隊長であった島尾敏雄の著作に、第44震洋隊や隊長の三木中尉のこと、戦時中の誘爆事故のことなどが書かれている。

昭和19年11月に第17、18震洋隊が加計呂麻島に進出した。昭和20年になって奄美地域になお震洋隊の配置が必要とのことで、基地選定のために島尾は第17震洋隊長の林大尉とともに大島や喜界島を検分して歩いた。その結果喜界島に2個隊、大島に1個隊の進出が決まり、大島には久慈湾岸(プラタと呼ぶ地域)に部隊が配置されることになった。

昭和20年3月半ばに第44震洋隊が到着、その隊長が魚雷艇学生一期生で島尾と同期の三木であった。後年島尾がここを訪れたときに、村の人は三木のことを「いい人、静かな、親切な方」といい、如何にも好ましい印象を受けた思いのにじんだ口振りであったという。

事故が起こったのは昭和20年6月、対岸の呑之浦の基地にいた島尾は、「突如、地の底からからだを突き上げてくるようなくぐもった響きを感じ」「ずずずーんと爆発物の破裂するすさまじい音が聞こえた」と書いている。整備中の震洋艇が誤爆して10数隻が誘爆、爆発は3回あって死亡者は13名であった。三木は1回目の爆発音を聞いて現場に走り出そうとしてその時は制止されたが、2回目の爆発の後制止を振り切って飛び出し、折悪しく3回目の爆発にぶつかって吹き飛ばされて死亡した。

事故の後、第17震洋隊の先任将校であった、やはり島尾と同期の渡辺が第44震洋隊の指揮官になった。

戦後になって、島尾はこの場所を2回訪れている。

1回目は昭和32年1月末、壕内の特攻艇の発掘作業に立ち会うためである。その時事故現場で「それほど大きくはない自然石を使い、土台をコンクリートで固めた慰霊碑が建てられているのを見た」そうで、地元の人からは隊員が近くの山から適当な石を運んできて建てたと聞いたという。

ところが、昭和54年8月に2回目に訪れたときには碑に「昭和三十年十一月厚生省」の文字が彫られているのを見て、同じ碑の筈なのにどうも記憶が重ならないで奇妙な思いになったと書いている。

※参考『透明な時の中で』(島尾敏雄)潮出版社
   『震洋発進』(島尾敏雄)潮出版社

 

さらに少し先にいくがさすがに限界。戻る途中で落石や倒木が積み上がった先にもう1つ格納壕らしきものを見つける。

こちらは入口までよじ登って行くのが大変だが、内部は広くて奥が深いようだ。白く見えているのは発砲スチロールが吹き寄せられたものらしい。

f:id:hn2784:20150613131220j:plain

第18震洋隊と同じだとすれば、格納壕は全部で12個あったと思われる。他にも残っているのがあるのかどうか分からないが、見つけたのは2個だけであった。