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「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

秋葉神社とシマタテガナシ(阿室)

(前回の続き)

 土俵の向かい側の公民館脇から山に入る道がある。

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数10段の階段を登ると神社入り口の鳥居。

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きれいに掃除された境内の右側に社殿がある。社名はどこにも書いてないが、これが秋葉神社のようだ。

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秋葉神社について、集落の案内板には次のように書かれている。

大正5年1月6日阿室を全焼する大火があった。これで集落を全焼させた大火は、江戸の末に起きたものに続く二度目のものであったため、阿室の人々は「神様の力を頂く」ことを話し合い同じように大火に見舞われた実久村の芝で、火事の予防に秋葉神社をお供して拝み、災害がなくなったことに習い建立した。

昭和9年に大火にあった隣の平田集落では、ユタのお告げで祖先の偉人を祀っているが、こちらは火伏の神である秋葉神社を勧請している。

 

社殿入口はオープンになっていて、奥の神棚の中央の枠内に黒っぽい立像が見える。

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この神社のご神体は火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)である。大火のあと秋葉神社を勧請することに決め、集落から選ばれた人が鹿児島の秋葉神社で3カ月の修行後に、ご神体のお供をして戻り、現在地に鎮座したという。※

 

境内の社殿脇にある手水鉢

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横の方に「大正六年・・」とあるのがかろうじて読み取れる。創建時のものらしい。


秋葉神社のすぐ上にも鳥居。

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集落の観光案内によるとこれは「守山シマタテガナシ」で、
「島の守り神として祀られていたが、現在では露天祭祀となっている」と簡単な説明がある。

内部は空地同様で、入口右側には崩れかかった手水鉢がある。

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かなり古くて文字などは読み取れない。

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シマタテガナシは別の山にもう1ヵ所にもあったが、大火のあとこの地に集められた。戦後になって個人の献納によって鏡を祀る木造の建物を造り、神社の形態をとって島建神社と称するようになった。その後シロアリ被害で倒壊寸前になり、昭和60年に社を取り崩したという。※

※参考『奄美伝統文化の変容過程』-「神社祭祀を巡る一考察」(高達奈緒美)

 

シマタテガナシというのは奄美ではよく聞くことばであるが、正体がいまいちよく理解できていない。類似のことばにイビガナシというのがあり、これはミャーなどにあって集落の守り神となっている自然石を指しているようである。シマタテガナシの方は、集落の守り神となっている古い墓や墓地などを指していると考えればいいのだろうか。


前回記事にも出てきた『海南小記』では、大火のあと、島立神を秋葉神社と呼ぶようになったと書いている。
「今迄はシマタテカミサマ(島建神様)と拝んでいたこの拝所を、今後は秋葉神社と称えて崇敬することに決めた。遠い遠州の奥の山の火防の霊神が、果たして何人の説に基づいて、阿室の昔の御嶽の神の名になったのかは、あえて聞いてみようとしなかったが、少なくともこれは我々のいう勧請ではなかった。土地の人たちは決して新たに御迎え申した神とは思っておらぬから、すなわち単純なる改名に過ぎぬのである。・・」