読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

『海南小記』に書かれた神高き集落(阿室)

平田の先は阿室。集落内には高木がそびえている。ヤシの1種だと思うが、南国らしい風景である。

f:id:hn2784:20150612143230j:plain

 

奄美大島には西阿室、請阿室、阿室釜など阿室のつく地名が多い。阿室は「アムル」ともいい、「神降る」という意味があるそうだ。

アシャゲは、少し集落の中に入ったところにある。

f:id:hn2784:20150612143443j:plain

平田のアシャゲ同様にがっしりとした建物であるが、デザインはかなり異なる。

f:id:hn2784:20150612143346j:plain

柱は円形ではなく角柱で10本建っていて、周囲にコンクリート製の囲いがある。床はコンクリートの土間のようで、あまり語らいの場所にはなりそうにない。
木造のアシャゲには柱がたくさんあるのをよく見かけるが、コンクリート製ではめずらしい。
建物の内も外もチリひとつ落ちていないのは気持ちがいい。


道路を挟んだ向かいは土俵で、土俵の向こうには砂利を敷いた小高い地面に石碑が建っているのが見える。

f:id:hn2784:20150612143522j:plain

近づいてみると、これは行幸記念碑である。

f:id:hn2784:20150612143552j:plain

「昭和二年十二月二十五日
 聖上陛下行幸記念碑
 阿室青年団」
と書かれている。

 

集落の観光案内板には、「阿室集落は『海南小記』にも出てくる神高き古くからの集落である」とある。

柳田國男は大正10年(1921)2月12日に、この阿室を訪れている。

『海南小記』の11章「阿室の女夫松」の冒頭部分には、
屋喜内湾内でも、阿室などはことに古い村である。阿室には男松女松と名付けて珍しい2本の大木があった。遠方から聞き伝えて見に来るほどの松であったが、惜しいかな5年前の正月の大火事に、焼けてしまって根株ばかり残っている。御嶽の岡の昇り口に近くトネヤ(殿屋)の西隣の神アシャゲの広場の端に、小高い塚型の地がその遺跡で、火事後に生まれたくらいの子供たちが、朝から晩まで来て遊んでいる。・・・・・」と書かれている。


記念碑のそばには大きな切り株がある。

f:id:hn2784:20150612143639j:plain

大正期に焼け残った根株が現在も残っている筈もないが、場所的には何となく符合していて、いかにも由緒ありそうである。