「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

150年前の白糖工場の石塀(須古)

県道そばにある須古集落の案内板に白糖工場の石塀のことが書かれている。
地図を頼りに集落内に入ると、左奥の方の道路右側にそれらしいものが見つかる。

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民家の塀として再利用されているようである。
1つ1つはかなり大きくて、ブロック塀などと比べるとずっしりとした存在感がある。

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さきほどの案内板には次のように書かれている。

白糖工場は江戸時代末期に薩摩藩により建設される。奄美大島に4カ所建設された一つが須古集落にあった。その白糖工場の切石を用いた屋敷の石垣である。

その頃の写真も絵もないが、外国から機械を導入して技師を雇い入れていたというから、当時としては周囲には似つかわしくない異色の建物だったのではないだろうか。

工場が建てられたのは、慶応年間(1865~1867)であるが、明治元年には早くも閉鎖されている。
4カ所というのは、名瀬金久、宇検須古、瀬戸内久慈、竜郷瀬留で、このうち名瀬と龍郷には前に行ったことがある。

※参照(過去記事)

  白糖工場跡 (瀬留) - 「大奄美史」紀行

  白糖工場跡 (名瀬らんかん山) - 「大奄美史」紀行

 

名瀬では附近に工場があったという案内板、瀬留では工場跡地だという場所に札が建っているのみであった。よく調べれば何か痕跡があったのかも知れないが、具体的なモノとして残っているのを見たのはここが初めてである。