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「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

海軍航空隊古仁屋基地跡の碑(須手)

古仁屋から小さな岬を回ってすぐ、海岸の方で大規模な工事が行われている。手前に須手公園という小さな公園がある。

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公園の道路側、松の木陰のあまり目立たないところに海岸に背を向ける形で、碑が建っている。

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碑には「海軍航空隊古仁屋基地跡」とあり、平成三年に瀬戸内町大正会が建てたものである。隣の岩がどういうもので何故ここにあるのか不明。

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台座に碑文がある。
この須手地内は大東亜戦中旧日本海軍航空隊唯一の南方中継基地として前線に匹敵する役割を果たした戦跡の地である。
平成三年九月

 

ここは海軍航空隊の基地があった場所である。太平洋戦争の開戦により水上機の基地が設置されることになり、須手の全集落民は軍により強制立退が命じられたそうだ。基地の設営は三浦に本部を置く第二二八設営隊の技術大尉を指揮官として最盛期には200名ぐらいの軍属部隊がいたという。当初は水上偵察機による南西諸島方面の対潜哨戒、船団護衛などを任務とする小規模な部隊であったが、沖縄戦が始まってからは、沖縄周辺の敵艦隊攻撃のために出撃する基地となった。
※参考『瀬戸内町図書館・郷土館紀要4号』-「須手の水上機沖縄特攻基地について」(徳永茂二)

 

この辺りは埋め立てが進んでいるようで、今も大規模な海岸工事が行われている。もちろん当時の様子を窺い知ることもできない。

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それにしても大島海峡にはいろいろな旧軍の施設跡があるものだと感心してしまう。世代が変わってしまうと地元の人でも知る人はいなくなっていくのだろう。