「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

大島の西端・西古見の掩蓋式観測所跡

 朝虎松の碑の前を通り、西古見集落を抜けると西古見橋と書かれた橋がある。

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小さいが頑丈そうな橋で、昭和13年11月竣工とあるから軍事用に架けられた橋なのだろう。

 

しばらく行くと道路わきに兵舎跡。

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樹木や草に囲まれて半ば隠れてしまっている。かなり大きくて、30m以上の長さがありそうだ。

 

内側に入ってみる。

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コンクリートの短い柱(床の台?)など内部の構造が一部残っている。材木などいろいろ散らばっているのは、最近まで廃材置き場にでもなっていたからか。入口や窓の配置など、実久の山中で見た兵舎と同じような特徴がある。


少し先の道路わきの石垣。これも軍の造ったものらしい。

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舗装道路をさらに登っていくと軍の観測所跡が見えてくる。道路の向かい側には駐車場もあって想像していたよりは随分きれいに整った施設である。

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入口にある案内板。
観測所跡
この観測所(壕)は、旧日本陸軍により昭和15年に建設され、正式には「掩蓋(式)観測所」と呼ばれた。
射撃目標の方向と距離を測定し、山陰に設置された砲台に連絡する役割を担い、号内部の中央台座には監視用の望遠鏡が設置されていた。
平成16年5月に整備されるまでは、草木に覆われ外部からは全く見えないように造られていた。
また、中のコンクリート壁には海上の岩や島々の図が描かれ、距離などが細かく記されている。

昭和15年と言うと太平洋戦争の開戦1年前である。南進基地としての大島海峡防備のため、要塞の機能の拡張・強化を図ったのだろう。

内部のようす。中央に観測台がありここに望遠鏡が設置されていたようだ。

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掲げている図によれば、加計呂麻島周辺の島々や、南は徳之島まで視界に入るらしいが、あいにく天候が悪くて見通しがきかず残念。

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これは外から壕をみたところで、偽装されていて、2階部分にも小さな観測室がある。

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周辺は観光用にかなり改造されてしまっている感があり、戦争遺跡というような生々しさはない。古仁屋からここまで車で1時間以上、年に何人位見学に来るのか、施設が立派なだけにちょっと心配してしまう。


さらに舗装道路を先に進む。左側に灯台の案内があるが舗装はされてなく、雨も降っていて足場がよくないので今回は諦めることにする。

見落としていた繋船場跡を帰りに確認する。今でもしっかりとしているように見える。

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他にも砲台や弾薬庫など軍の遺跡が残っているようだが、探す手掛かりもない。また次の機会があれば、・・。