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「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

金比羅神社 (西古見)

西古見には、前に奄美の鰹漁業の創始者「朝虎松の碑」を見に来たことがある。

※参照(過去記事)朝虎松の碑 (西古見) - 「大奄美史」紀行

今回は県道から集落の中の道路に入ってみた。しばらく行くと赤い鳥居があって、まっすぐな長い階段が上の方に続いている。

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登りきるともう1つ赤い鳥居があり、その奥に海の方を向いた社殿がある。まだ新しそうで、きれいな形をしている。

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神社名を表す社額などはどこにも懸ってない。

 

社殿内部のようす。

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正面にはご神体のようなものは見当たらず、右脇の方に鏡が祀られている。
立てかけてある札に、「金刀比羅宮・・」という文字がかろうじて読み取れる。いわゆる「こんぴらさん」を祀っている神社のようだ。

 

金比羅信仰の中心は、香川県琴平町の金刀比羅宮(金比羅宮、琴平宮とも呼ばれる)で、海上交通を司る神様である。現在でも漁業関係者や船員、海上自衛隊員の信仰を集めているという。讃岐の金刀比羅宮を参拝するには、長い石段(785段)を登らなければならないことで有名であるが、そういえばこの神社も石段が長い。(偶然でしょうが)

金刀比羅宮は全国で600くらいあるというが、大島ではあまり見かけない。どういう由来で祀られるようになったのか。古い地図を見ていると、西古見湊は海上交通の要所(特に琉球方面)だったことが分かる。


この手水鉢は境内にあるものの中で一番古そうだ。

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文字が刻まれているようでもあるが、よく分からない。

後から『日本歴史地名体系(鹿児島)』という資料で「金刀比羅神社の石碑には延享四年(1747)屋喜内与人喜恵紐の名が記されている」とあるのを見たが、それがこの手水鉢なのか、あるいは境内にいくつか横倒しになっていた石の中にあったのか、もう少し注意深く見ておけばよかったのだが・・・

境内から、今登ってきた参道と集落の方角を見下ろす。

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西古見には集落入口の県道近くにもう1つ神社がある。石段を登った境内には赤い祠とその横に笠?のついた石造物。

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ご神体は仏像なのか?
自然石も祭られているのが奄美らしい。

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この神社も境内にはどういう神社なのか手掛かりはなく、後からネットで探してみたところ、個人の神社らしいことが分かった。

 

 

 

 

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