「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

むちゃ加那が流れ着いた浜 (青久)

玉石垣の前の浜を渡る。小さな川沿いこんもりとした丘の麓の少し高くなったところに石碑が建っている。

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「むちゃかな之碑」と書かれていて、台座に碑文がある。

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伝説むちゃかな之碑
今から約二百年前江戸時代末期瀬戸内町生間から役人の欲望を拒否したばかりに〇流しにされ漂着した喜界島でつかの間の幸せを絶世の美人「うらとみ」の子として生まれた「むちゃかな」は、母にもまさる美人として男たちの評判を一人じめにした。
そんな「むちゃかな」に嫉妬した島の娘たちは、青海苔摘みに誘い海中に突き落としたと語りつがれている。
旧九月期は潮の流れが喜界島から青久の方へ流れるため、ここに遺体が流れ着いて青久の人々によって手厚く葬られた。
それ以来青久では九月九日には墓地に詣で悲劇の娘「むちゃかな」の霊を慰めてきている。
住用村教育委員会
住用村文化財審議委員会

 

ここは加計呂麻島、喜界島、大島の3島に渡る、ウラトミ、ムチャカナ親子の悲話の最終章の場所である。

※参照(過去記事)

むちゃ加那節の歌碑 (生間・むちゃ加那公園) - 「大奄美史」紀行

むちゃ加那節の歌碑その2 (生間・むちゃ加那公園) - 「大奄美史」紀行


喜界島に残る伝承では、行方不明になったむちゃかなを両親は狂ったように探して、ようやく三日目に父親が山の上から海岸に打ち上げられた娘の死体を見つけたという話になっている。母のウラトミは娘の後を追って自らも入水自殺を遂げた。喜界島の小野津には、ムチャカナとウラトミの墓があるそうだ。

 

浜を見ると点々と流木らしきものが散らばっている。もしかしたら喜界島から流れてきた?

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むちゃかなが流れ着いたかどうかはともかく、沖の方から死体が浜に打ち上げられたことが実際にあったのかも知れない。


帰りの坂道から青久集落を振り返る。防波壁の向こうに碑のある丘が見える。

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過疎の集落は奄美大島では当たり前であるが、この集落の光景はあまり他では見られない独特のものがある。