「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

平家見張所があったと伝えられる山間権現

山間(やんま)集落の先、道路から海に突き出た丘の頂上に向かって長い階段がある。白い手すりが新しい。

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途中に鳥居があって山間権現の額が懸っている。

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さらに先に行って倒木をくぐりぬけると、少し広くなったところに出て、石段の上に社殿がある。石段の登り口の両脇には「昭和元年」「六月一日建立」と書かれている。

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社殿の前の左右に石造物がある。これは右側の手水鉢。

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左側の石塔に文字が刻まれている。

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はっきり読みとれないが、正面に「明治三十一年・・・」、別の面には「大隅国肝属郡・・・阿〇直治」と書かれているようだ。この頃はまだ県名ではなく国名を使うのが一般的だったのだろうか。

(ちなみに奄美群島(大島郡)は明治12年に大隅国に編入されている)

 

社殿内部のご神体。頭に当るところに自然石、腹部に丸いお盆(鏡?)のようなものを抱えている。あまり他では見ない形だ。

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右の方に小さい井戸のようなものがあり、注意書きが建っている。

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「伝説によればこの堅穴は「白い馬と神様」にまつわる聖域と言われています。・・・

奄美で「白い馬」にまつわるような話は聞いたことがない。詳細は不明である。

 

社殿左脇に山間権現の由来が書かれている。

有史以来、殊に中世期末までの奄美近海には海賊がはびこり、往時の人々がこの地に見張所を設けたという。
一説によれば、だんの浦で敗れた平家一族が源氏襲来に備えて岬番所を置いた所とも伝えられている。
時代は移り、那覇ン世や薩藩支配の当時は旅立ちの別れを惜しむ場所でもあり、航路安全を祈る所でもあった。
明治以降は幾度もの戦役に際して出征兵士の武運長久を祈願し、また疫病蔓延や天災からの安全加護など私達の祖先が長い歴史の中で、関りを持ち続けた貴重な文化財として語り継がれている。

平家伝説とあるが、他の平家ゆかりの神社のように、何らかの物語があるわけではなさそうだ。

 

これは権現から山間集落方面を見下ろしたところ。

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地形を見ると外敵が山間湾の奥深く侵入してくるのを見張るにはちょうどいい場所にあることが分かる。

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山間には集落入口に厳島神社、背後に高千穂神社があり、この権現と合わせると1つの集落に3つも神社があるのは珍しい。