「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

龍郷公民館前の石碑と高倉

龍郷の中央公民館建物向いの芝生に胸像や石碑が並んでいる。背後には高倉もある。

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 手前の胸像は「泉二新熊先生像」、向こう側「金井正夫先生像」と書かれている。

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泉二新熊(もとじしんぐま)は明治9年生れ中勝出身で、検事総長、大審院長を歴任、退官後は天皇の諮問機関である枢密顧問官に親任されている。「日本刑法論」という著書は永く我が国の裁判の規範になったという。
金井正夫は明治25年生れ浦出身で衆議院議員、和歌山県知事などを歴任している。二人とも龍郷町の名誉町民である。

 

前を花で彩られているのが、行幸啓記念碑。昭和天皇の行幸を記念して建てられたものである。

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天皇、皇后両陛下は昭和47年10月に鹿児島県で開催された国民体育大会にご出席の際に、奄美大島を訪問している。特別機で奄美空港に着いた両陛下は正午過ぎに中央公民館に到着、昼食のために約1時間の休息をとられた。この日は秋晴れの好天で浦の橋立や役場前、沿道は日の丸の小旗を降る人垣で埋め尽くされ、竜郷湾にも漁船群が横断幕や日の丸、大漁旗を翻して海上奉迎を行ったという。
その後名瀬に向かい奄美東急観光ホテル(今はない?)に宿泊、翌日は住用、古仁屋へ。特別船「はいびすかす」に乗船、薩川湾でグラスボートに乗り移られて実久漁港海中公園(今は?)をご覧になったという。
※参考『龍郷町誌(歴史編)』

昭和2年の昭和天皇行幸についてはこのブログでも書いたことがあるが、それから45年後の奄美訪問である。

 

後に高倉が並んでいる。よく見ると柱をロープで引っ張って補強している。

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こちらは、床を最近張り替えた跡がある。維持するのも大変なようだ。

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