読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

たぶくろの碑と浦の橋立 (浦)

龍郷町役場の向かい側、三叉路近くの道路脇が少し小高くなっていて、とおしめ公園という小さな広場がある。

f:id:hn2784:20150128104140j:plain

石畳を敷いた上に「たぶくろの碑」が建っている。

f:id:hn2784:20150128104220j:plain

たぶくろの碑
奄美の海と山を拓いた
田畑佐文二為辰翁を偲んで

手前に碑文がある。

f:id:hn2784:20150128104059j:plain

たぶくろの碑由来
奄美に偉人がいた。およそ三百年前竜郷出身の田畑佐文仁為辰翁は海を埋め、山を拓いて500ヘクタールの田畑をつくり、狭い耕地にしがみつき苦しい生活を送っていた島の人々を救った。延宝四年(1676年)の生れ、36歳の時薩摩の国分地方で営んだ新田開発工事の技術をいかし、この一帯の海をせきとめ田んぼを造成したほか、大島本島の各地で開墾のくわを入れたのである。明和9年(1764年)88歳の生涯を閉じたが、製糖〇〇車を発明するなど産業振興の功績は大きい。
奄美では広い田地のことを田袋と呼ぶ。このたぶくろの碑は田畑翁の輝かしい開拓者精神を永遠に伝え島づくりの夢をふくらませることを願って多くの人々がこれを建てた。
昭和44年11月15日

 

『大奄美史』によると、田畑佐文仁が行った大島各地の開墾工事の中で、最も難工事とされたのがここ竜郷村浦部落の大工事であったという。
工事は海岸に長さ三百余間の堤防を築き、海水の侵入を防ぎ、隧道を穿ちて水の出入を便にし、二百三十余町の田地を開拓したもので、現今、浦部落の主要田地として知られている。当時まだ土木工事の発達しない大島において、かかる大工事を竣成したということがすでに驚くべき事績であるが、・・」とある。

 

碑の後側には湿地帯が広がっているが、この辺りが埋立地だったようだ。

f:id:hn2784:20150128104120j:plain

海側の堤防の上を国道58号が走り、三百間土手と呼ばれる長い土手に松並木が植えられている。ちょっとした景勝地で「浦の橋立」と呼ばれているそうである。

f:id:hn2784:20150128104348j:plain

 

今回は、とおしめ(通し穴:堤防に開けた隧道)を見逃してしまった。次に通ったときに確認しておきたい。