読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

マツノト遺跡と土盛海岸

喜子川遺跡から道路を挟んで斜め向かいに「マツノト遺跡」と書いた案内がある。

f:id:hn2784:20150127151112j:plain

道路わきにあるがあまり目立たず、前に喜子川遺跡を見た時には、全く気付かなかった。

白い柱が1本建っているだけ。

f:id:hn2784:20150127151319j:plain

特に案内文などはない。以下は『日本歴史地名大系(鹿児島)』(平凡社)から引用。
マツノト遺跡
笠利半島の東海岸、標高12メートルの新砂丘上に立地。第一層から奄美独自の木葉痕のある兼久式土器や貝符、九州から移入された土師器・須恵器、雁又状の鉄製器、銅製品・ガラス玉などのほか、中国系と推定される鼎型土器に似た四足土器、第二層からは古式の兼久式土器や夜光貝の貝溜り、夜光貝塚スプーンなどが大量に出土している。5世紀代より9世紀代にかけての遺跡で、南島の古代の東シナ海周辺地域との文化交流を考えるうえで重要な資料を提示している。

 

兼久式土器は徳之島の伊仙町面縄第三貝塚(地名をとって兼久貝塚ともいう)から出土した土器を標識として名付けたものである。奄美群島に広く分布している土器で、底部に木葉圧痕のあることが一番の特徴だという。
底部に圧痕があるということは、木の葉を敷いた上で土器を作っていたのだろうか。

場所は喜子川遺跡のすぐそばだが、喜子川遺跡の方は24000年も前の旧石器時代のものが出土しているというから随分時を隔てている。喜子川遺跡の立地するのは古期砂丘で、その上に被さって形成された砂丘上にマツノト遺跡が立地している。リゾート計画に伴う砂取工事中に土器が発見されて、1991年に発掘調査が行われた。

周辺は草が刈り取られているが、奥は行き止まり。海岸まではかなり遠いようだ。

f:id:hn2784:20150127151154j:plain

 

大きく迂回して土盛海岸の方に行ってみた。

広々とした砂浜と青い海が広がっている。波の音が大きい。

f:id:hn2784:20150128120614j:plain

海岸近くにある岩は子抱き岩というそうだ。

f:id:hn2784:20150128122401j:plain

沖の方にある岩はマルスというそうだがどういう意味なのだろうか。

f:id:hn2784:20150128122459j:plain

 

広告を非表示にする