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「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

辺留グスク古墓 (辺留)

大笠利教会の斜め向かいから坂道を登る。台地上の畑の中を、海岸の方に向かって一本道が続いている。

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この辺り一帯が辺留城(グスク)跡だという。

 

200メートルほど畑の中を進んだ突き当り。

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手前に1つ墓碑があり奥のほうにもいくつかの碑が見えている。


白い柱には昭和40年9月1日文化財指定とあるが、正面の文字は掠れて読めない。多分「辺留城古墓」と書いてあるのだと思うが、・・。

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ちなみに奄美市HPの文化財一覧には「辺留城古墓」は昭和46年9月1日文化財指定とあるので、ちょっと食い違いがある。

入口にある石垣に囲まれた墓は、断片的に読める字から推測すると日露戦争の戦死者の墓のようである。

 

奥の墓地にはいくつもの墓が不規則に建っている。横に積み上げられていたり倒れたままのものもある。形や色もばらばらである。「有馬・・」「新納・・」などの文字が読み取れるものがある。

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すぐ先に海が見えていて台地の突端の方まで来ているのがわかる。

中に妙な形(現地組み立て式石棺?)をした墓がいくつかある。あまり他で見たことがない。隙間から内部を見ると甕や茶碗の破片があるだけである。

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蓋が落ちて半ば崩壊しているのもある。

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『笠利町誌』に、この墓地について簡単な記載がある。
「海抜約20メートルの小高い断崖の上に広げられる狭い地積に、大島特有のサンゴ礁の板石壁と蓋石におおわれた古墳墓の間に、島津藩の仮屋敷蔵方目付有馬十蔵、医学者有馬宗賢、新納弥兵衛、与人格新納実章等石碑墓を並べてある。この墓地は「辺留城ウドン」とよばれている」

この文章では、墓石が藩政期の役人などのものであるということは分かるが、肝心の「板石壁と蓋石におおわれた古墳墓」が、どういう時代のどういう人物のものかというのは分からない。

辺留城古墓はともかく辺留グスクの実体はもっと分からない。グスクとは、「按司世(アジユ)に、力をつけた地方の首長(按司)が拠点としていた場所」ということだと思うのだが、何かそれを示す遺構などがあるのだろうか。

沖縄のグスクは丘の上などに石垣を巡らしていて、まさに「城(しろ)」というイメージに合っている。奄美の場合はもっと小規模で素朴なものであったと思うのだが、なかなか具体的なイメージが出てこない。台地全体がグスク跡だと言われると、城というより生活の場所を指しているようにも思える。

 

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