「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

加計呂麻島の西端・山上の砲台陣地跡(実久)

加計呂麻戦跡シリーズの最後は実久の砲台陣地です。東シナ海に面した山の上にあります。

 

実久集落の一番奥にある兵舎跡。ここまでは前に来たことがある。

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※参照(過去記事) 実久の兵舎跡 - 「大奄美史」紀行

以前は集落の保育所として使われていたことがあるそうだ。年月を経た割には内部はきれいである。

塀のそばに変わったものを見つける。

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保育所だと聞いたから滑り台かなとも思ったが、無機質な黒いコンクリートがあまり子供の遊具には似つかわしくない。


さて山道に入って行く。道幅はそこそこ広い。山上まで軍用道路が続いていたそうだ。軍が撤収した後は人が足を踏み入れることもなかったのだろう。ここも他の戦跡と同様、地元の民泊協議会の人達が切り拓いたものだ。伐採して片づけた倒木が脇にゴロゴロころがっている。地面を掻き回したような跡が点々と続いていて、これは猪の食事(ミミズの捕獲)の跡だそうだ。

坂道を登って好くと、軍が構築した施設の跡が次々に現れる。

これは水汲み場。水槽がいくつかあって浄水できるようになっている。

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道路から急斜面を50mほど登ったところにある陣地。

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U字型の壕になっていて両方の出口から銃撃ができるようになっている。

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何気なく通り過ぎた道路の下。海側に降りると銃眼がある。

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反対側には人ひとりが滑り込める小さな入口があり道路の真下がトンネルになっていて銃眼につながっている。

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道路脇には砲を設置していたと思われる半円形の石組み。

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こういうのが道路のそばに次々に現れる。この辺りは実久の浜が見える場所で、海岸に上陸した(あるいは上陸しようとする)敵軍がよく見える場所である。

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この先で分岐があって道は左右に分かれる。弾薬庫方面と警戒陣地の案内。まず左側の弾薬庫方面に行く。しばらく行くと兵舎跡。

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15坪くらいの広さか。高さは3メートルくらい。内部の構造物は何も残っていないが、ここにベッドを並べて寝起きをしていたのだろう。

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兵舎がもう1つあるとのことで探すと、少し先でコンクリートの残骸が散らばっている。

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近くに水の施設跡などもあり兵舎の残骸のようだが、破壊のされ方が尋常ではなく、爆破されたのではないかという。(鉄筋は持ち去られた?)

 

先に進むといくつもの塹壕がある。所々穴が開いていて、これは蛸壺陣地の跡だという。

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蛸壺陣地は敵の銃撃や砲撃から身を守るための個室型の塹壕である。上陸して下から攻め上がってきた敵兵から砲台を護るための最後の砦だったのだろう。


これは防空壕らしい。中はかなり広い。

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弾薬庫や砲台はもうすぐ。(続く)