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「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

モン崎の旧日本軍陣地跡

加計呂麻戦跡シリーズ?の3つ目は、須古茂集落と阿多地集落の間のモン崎という岬の先端にある旧日本軍の陣地跡です。だんだんワイルドになってきます。

 

モン崎へ行く前に須古茂のミャー(広場)で休憩。ここは加計呂麻の中でも古いシマの姿を色濃く残している集落である。

※参照(過去記事)


 

同行のシマ案内人の資格を持つ人がカミミチを教えてくれる。

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カミミチは、神山から集落の中を通って祭場であるアシャゲに続いている。神が降臨する神聖な道である。

トネヤの中に神棚があるのも教えてくれる。ここに来た時は拝んでいくという。

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モン崎へ向かう途中から先ほどの須子茂集落の方向を見る。

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海と山の間にひっそりと集落が佇んでいる。背後の山はオボツと呼ばれるカミヤマである。麓には厳島神社、右側の集落外れにはグンギン(権現)も祀られている。

戦時中はこの集落の間の道路を斜めに横切るように、いくつもの地雷が埋められていたと聞いて驚く。後から資料(当時の配備図)を見てみると、海岸沿いにはびっしりと機雷が敷設され、その先には爆雷投射機(対潜用の爆弾?)があり、山中には機銃が点々と配置されている。

この集落に限ったことではなく加計呂麻島全島が軍の陣地になっていたようである。今の姿からはなかなか想像しにくい。

 

さて、モン崎へ。道路を登りきったところで車を降りて畑(今は耕作されていない)の間を進む。
先の方に洞窟の入り口が見えてきた。

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入口はかなり小さくて、かがんで入る。中は真っ暗。こういうことが想定できていなかった私は何の装備もない。同行の人から灯りを借りる。

先の方に出口が見えてきた。ここから海の方に向かって砲身を出していたようである。

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 出口は小さくほとんど這うようにして外に出る。藪で見通しは効かない。

陣地はもう1つあるとのことで、ここから斜面をトラバース。灌木が茂っていて転落の危険はないが、歩きにくいことこの上ない。尤も、難儀しているのは私だけで他の人達はすいすい進んでいく。

数10メートル離れたところに陣地がある。先ほどのに比べると開口部が大きい。

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周辺にコンクリートの残骸が散らばっており、爆破されたのではないかということだ。

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内部は土砂が積もって途中で塞がっている。

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藪に囲まれて全く視界がきかない上に方向感覚も狂ってしまって、この2つの陣地がどの方向を向いているかも分からなくなってしまう。

後から当時の配備図を見てみると、モン崎には15糎砲が2基配備されていて、それがこの2つの陣地のようだ。15糎砲といっても実物を見たこともないし威力もよく分からないが、東シナ海を北上して須子茂、阿多地方面に上陸しようとする米軍の部隊を沖の方で迎え撃つためのものだったようである。

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