読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

艦船給水ダム跡を再訪(三浦)

前回に続いて加計呂麻の戦跡です。今回は三浦集落の先の山中にある旧日本海軍の艦船給水用ダム跡です。以前にも来たことがあり、その時は貯水池を眺めただけでしたが、今回はダムの取水口なども含めて全体を観察することができました。
※参照(過去記事) 艦船用給水ダム跡 (三浦) - 「大奄美史」紀行

 

まずはダムの止水壁の上を渡る。さざ波1つないひっそりとした水面である。

f:id:hn2784:20150204102329j:plain


反対側の取水口を見下ろす。前に来た時とは様変わりで、灌木がなくなって下まで見通すことが出来る。

f:id:hn2784:20150204102009j:plain

横の方から下に降りる。藪は取り払われ、倒木もきれいに片づけらている。

f:id:hn2784:20150204102322j:plain

このダムに限らず、加計呂麻島各地の戦跡は地元の民泊協議会の人たちの手で次々と整備されている。この一行にもその整備作業に汗を流している人たちが含まれている。

 

こちらはダム下部の取水の設備。

f:id:hn2784:20150204105212j:plain


特徴あるアーチ型の送水場。扉はなくなってしまっている。

f:id:hn2784:20150204105134j:plain

アーチをくぐっての奥の方に入って行く。入口より少し低くなったトンネルの床には送水管が取り付けられていて、10mくらいの先の突き当りから管が上の方に伸びている。

f:id:hn2784:20150204103951j:plain

真上がダム上部のでっぱりの場所のようだ。

f:id:hn2784:20150204102100j:plain

 

アーチの手前にあるのが給水用のバルブ。

f:id:hn2784:20150204103146j:plain

2つあるが、左側のは汚れた水を排水するためのもので、右側のバルブが給水用だそうだ。

 

これはダムの壁を見上げたところ。高さは10メートルほどだそうだが、かなり高く感じる。

f:id:hn2784:20150204105216j:plain

 

このダムは海軍の二二八設営隊によって建設された。工事が始まったのは昭和13年(1938)で徴用された人々が全国から集まってきた。完成の時期ははっきりしないが、作業員4人が犠牲になる難工事だったという。貯えられる水の量は3000トン。ここから三浦集落の先の方の崎原という給水地点まで導水されて、海軍の艦船に供給されていた。
※参考『記憶の証人 かごしま戦争遺跡』(南日本新聞社)

 

それにしても、戦後70年間もこの状態で残っているのが不思議な気がする。メンテナンスもなしで、満々と水を貯めたまま放置されていても大丈夫なものなのだろうか。将来にわたって長く補給の拠点となるように、耐久性の高い設計にしていたのだと思うが。(実際には数年先には役目を終えてしまうことになる)

水路の石垣もしっかりと残っている。

f:id:hn2784:20150204111658j:plain

 

こういうのを見ていると、映画やテレビで見る戦争とは違って、「戦争は土木工事から」という別の一面を実感することができる。軍がダムを作るというのはあまりピンとこないが、そういう技術やノウハウも持っていたのだろう。

*****<続く>*****