「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

八幡神社(名柄)

名柄集落の背後の山裾にあるのが八幡神社。赤い鳥居が見える。

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鳥居の先の崖の間を通って入って行く。

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通路を抜けるとすぐ右の方にこじんまりとした社殿がある。内部は窺えない。

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横にあるのはお墓のようだが形が少しおかしい。元は上に石が載っていたのだろうか。

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集落の案内図には「奄美大島が琉球王朝の支配下にあった12世紀の後半、大親職として沖縄から名柄八九氏(通称八幡様)がやってきたと言われている。人々から戦の神として崇められ、太平洋戦争以前から武運長久を祈願するため各地からの参拝者が絶えなかったとの事である」と書かれている。

12世紀の後半というと随分古い。日本史でいえば、壇ノ浦の戦いで平家が滅亡したのが1185年だから、丁度その頃である。そもそも大島諸島が琉球に初めて入貢したのは13世紀になってからだから、それ以前に琉球から大親(間切の長)がやってきたとは考えられないが、・・・


加計呂麻島の実久三次郎神社の案内には、「名柄八幡」の名が出てくる。

・・鎮西八郎為朝の子、実久三次郎が宇検の名柄八幡と力比べをした時に用いたと伝えられている石が二基、当神社に安置されているのでありますが・・・

※参照(過去記事)


 

力比べの話が残っているくらいだから、実久三次郎も名柄八幡も力自慢の豪傑だったのだろう。そういう武勇の伝承が八幡信仰と重ね合わされて、八幡様として祀られるれるようになったのかも知れない。

 

 

 

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