読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

宇賀弁天像を祀る厳島神社と薩摩藩役人の代官墓(須古)

複雑に深く切れ込んだ焼内湾の一番奥に須古集落があり、湾に流れ込む河内川を少し遡った川べりの道路から、丘の上の神社が見える。脇の道に入るとすぐに鳥居がある。

f:id:hn2784:20140928141519j:plain

階段を登っていくときれいに整備された境内に出て、先の方にまだ新しい社殿がある。

f:id:hn2784:20140928141548j:plain

朱色だが鮮やかな(どぎつい)色ではなく、落ち着いた暖かみのある色だ。

サッシの扉を開けてみる。内部もきれいになっていて中央に石像がある。

f:id:hn2784:20140928141652j:plain

石像の前や両脇にあるのは、名称は知らないがどうみてもお寺でよく見る仏具である。

石像の頭上に何か乗っている。

f:id:hn2784:20140928141700j:plain

集落の案内図によると、この神社は厳島神社で、「弁財天立像に白蛇を載せた宇賀弁天像である。享保年間の文書には同地を登山城(トヤマグスク)と記すとされている」とある。

 弁才天をご神体とする厳島神社を大島でいくつも見てきたが、宇賀弁天の名が出てきたのはここだけのような気がする。

弁才天は古代インドの水神・農業神で日本に入ってきて弁財天とも呼ばれて七福神の1つにもなっている。神仏習合して宗像三女神の一人である市杵島姫(イチキシマヒメ)として祀られることが多い。一方で弁才天は日本古来の神である宇賀神とも習合して、弁天の頭上に蛇を乗せる像が信仰されるようになった。

ここにあるのは宇賀神と習合した弁才天のようだ。ちなみに神社庁HPに出ている大島の厳島神社は2つあるが、どちらも祭神は市杵島姫である。

 

社殿の背後には河内川で、河口の橋の向こうには焼内湾が見える。

f:id:hn2784:20140928141754j:plain

 

神社の先の方の山中に代官墓があるという。
草むらを入って行くのはイヤだなと思いながら進んでいく。細い山道に入るが、幸いにもよく手入れされて草はきれいに刈られている。
ほどなく古い墓地に着く。これが代官墓のようで、五輪塔の形のものが並んでいる。

f:id:hn2784:20140928142135j:plain

集落の案内図には、
1852年に病没した代官武井四郎右衛門盛の墓。薩摩藩の役人の墓を代官墓と呼んでいる」とある。

薩摩藩の役人の墓がなぜここに建てられたのか、複数あるのは何故か、この説明だけではよく分からない。今もきれいに清掃されて、花も供えられているようである。

右奥の方にも古そうなお墓がある。

f:id:hn2784:20140928142159j:plain

墓碑を見ると建立は何れも嘉永年間(1850年頃)で、代官墓と同じ時期のものだ。