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「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

公民館の池の橋は中世の碇石(宇検)

集落の入口に近い方に宇検公民館があり、その奥の方が庭園風になっていて池が造られている。今は水が枯れている。

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池の真ん中に角型の石の橋が架かっている。これが碇石である。

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集落入口にあった観光案内版。

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宇検の碇氏の本家に元々あった2個の内の一つで、中世時代の外洋船が「碇」として積んでいたものと考えられる。大島では龍郷町に一つ、奄美市に三つ合計5個が確認されており、うち二つが宇検村にある。

と書いているが、後半はちょっと計算が合わない・・・・


この碇は元は宇検集落の碇氏の本家にあったもので、全長309cmの凝灰岩製である。碇家にはもう1本碇石があって、そちらの方は宇検村生涯学習センターに展示されていて、これも凝灰岩製で全長282cmだそうだ。

船の碇に鉄が使用されるようになったのは15世紀以降で、それ以前は石を利用していた。東シナ海を航海していた宋・元時代の中国船の碇は3mを超える巨大な石材から造られたもので、奄美大島では9本確認されているという。

以前、住用の奄美アイランドの建物前に碇石が展示されているのを見たことがあるが、これは全長3mの花崗岩製で重量は国内最大だそうだ。

※参照(過去記事) 原野喜一郎石碑 (奄美アイランド/原野農芸博物館) - 「大奄美史」紀行

赤木名観音堂の記念碑は碇石を転用したもので、長さ110cmのアルコース製(花崗岩が風化・侵食作用を受け分解した後に二次堆積したもの)だという。

※参照(過去記事) 赤木名観音堂の碑 - 「大奄美史」紀行

その他、龍郷町公民館や奄美博物館に展示されていたり、ベンチや縁石、井戸の井桁として転用されているものもあるそうだ。

※鹿児島大学「鹿児島環境学プロジェクト」のHPを参考にしました。


公民館左手には高倉が建っている。移設されたものらしいが、今は資材置き場になっているようだ。

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ところで、宇検は集落(字)名と村名が同じで少しややこしい。江戸期~明治41年は焼内間切宇検方宇検村、明治41年には島嶼町村制度執行で焼内村の大字に、大正6年に焼内村が宇検村と改称されて、宇検村の大字宇検となった。

古来海陸交通の起点として交易船の出入りも多く宇検方の中心であり、明治8年には戸長役場が設置された。