「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

芝好徳顕彰碑と芝家屋敷跡 (篠川)

前回に続いて篠川の芝家について。

篠川小中学校の少し南側の広場に大きな石碑があり周りに石灯籠、隣には胸像が建っている。向こうの方に遊具や東屋なども見える。

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石碑には「開拓の父 芝好徳翁顕彰碑」と刻まれている。

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土台上の碑の周りの四隅に何かの建造物があった跡が残っている。右側には小さな石造の五重塔。かなりの年期が感じられ、バックの真新しいブランコとの対比がちょっと面白い。

 

芝好徳は正徳四年(1714)に西間切篠川村に生まれる。宝暦七年(1757)44歳のときに田地方与人役になり、この時砂糖5千斤を藩主に献上した。これは幕命による木曽川改修工事で、薩藩が財政困難に陥ったことによるものである。その後名瀬間切、笠利間切の与人役を勤め、生涯に砂糖40万斤を藩に献上している。敬姫誕生の祝賀のために上国した際には羊毛の織り方を習得して帰り、奄美で初めて毛織物を織らせて藩主に献上した。また、伊須湾にオランダ船が漂着したときには、自衛のための鉄砲の必要性を痛感し、藩に訴えて銃2丁の製造が認められた。灌漑溝を設けて田畑を開拓し、堤防を築き、道路を開通するなど、さまざまな功績が伝えられている。82歳の長寿を保ち、寛政七年(1795)に亡くなった。

※参考 『大奄美史』(昇曙夢)

 

木曽川工事と言えば、ずっと昔に『弧愁の岸』(杉本苑子)という本を読んだことがある。理不尽な幕府の命令による濃尾平野の治水工事を請けて、財政の窮乏などさまざまな困難の中で難事業に取り組む薩摩藩士を描いた物語である。史実をもとにした迫力のある小説だったが、その話が奄美にもつながっているとは当時は思いもしなかった。

 

こちらは「好徳園主・吟詠家 芝實清氏像」とあり、平成3年の建立である。

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芝實清氏については説明がないが、スーツ、ネクタイ姿であることから芝好徳からはず~っと時代を下った最近の人のようだ。さきほどの顕彰碑隣の五重塔の設置者にこの人の名が書かれている。

 

碑のある広場の向い側が芝家屋敷があった場所のようである。
こちらも広場にようになっていて、ベンチなども置かれている。

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建物跡などあるわけではなく、ここに立派な屋敷があったことを偲ばせるようなものは見当らない。門のそばにサンゴの石垣があるが、それほど目を引くものではなく、そもそもどの時代のものかも分からない。