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「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

陸軍弾薬庫跡 (手安)

海岸から少し山側に入ったところ、右側は自動車学校で、突き当り奥の方は防災工事中らしく車両が出入りしていて資材が積み重なっている。弾薬庫跡は左側にあり、入口の山肌は樹木に覆われていて天然の偽装になっている。

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脇に案内がある。
旧陸軍弾薬庫跡
この弾薬庫跡は、旧陸軍により昭和七年に構築完成され、戦時中は南西諸島及び南方防衛の海陸空軍弾薬貯蔵補給基地として厳戒体制がとられていたため地元民はこの壕の存在すら知らなかった。
終戦により、武装解除とともに大量の弾薬が運び出され、当地沖の大島海峡にすてられて、初めて弾薬庫ということがわかった。
この施設の内部は網の目に組まれた鉄骨を厚いコンクリートで固め、さらに銅版を張りめぐらせ空気が洩れないように、又、湿気防止のため周囲は空間を設け風圧に耐えるため二重壁の構造になっているなど、当時の弾薬庫としては珍しく規模、構造とも日本で最も優れた施設であったと言われている。

 

トンネル入口に蛍光灯のスイッチがあり、点けると通路が照らし出される。これは相当長い。

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通路の奥の広くなったところに厳重な壁がありその向こうの部屋が弾薬庫。縦長で相当広い。赤錆びた格子状の鉄骨がものものしい。

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ここからは右横の方に通路が伸びている。

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通路を通っていくと隣にも同様の弾薬庫の部屋がある。

 

これが全体の見取り図。

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印刷が掠れて数字が読み取りにくいが、これによると左の方が少し長くて通路入口から弾薬庫奥までおおよそ60m、右は50m、左右の幅は50mくらいのようだ。

 

弾薬庫は安脚場でも見ていたので、あまり期待?はしていなかったのだが、これは規模が全然違う。昭和7年だとまだ平時で、その時にこれだけのものを作っていたというのにも驚く。技術的にも高度なものだったのだろう。地元の人も存在を知らなかったというが、兵隊さんだけで掘ったんでしょうかね。土砂も大量に出てくるだろうし。

 

先ほどの見取り図の一番右にある斜めの壕は、現在は弾薬庫跡を利用した観測所施設になっているという。資材の向こうに入口らしきものが見える。

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奄美広帯域地震観測施設(旧陸軍弾薬庫跡)」と書いた科学技術庁(現在の文部科学省)の案内がある。

広帯域地震計は治下の深いところから伝わってくる微弱な地震波を捉えるための装置で、固い岩盤の上に設置しなければならないこと、温度変化に敏感なのでその影響を避けなければならないため通常横穴の奥に設置される。この弾薬庫跡は、穴の深さも十分で構造も堅固なので地震観測には最適な場所だ」というようなことが書かれている。陸軍が想定していなかった副産物であろう。

 

自動車学校の先は大島海峡。火薬を満載した船が出入りしていたとは今からは想像できない。

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