「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

芦花部一番バア加那の碑 (芦花部)

芦花部(あしけぶ)は海に面していない山あいの集落。通りに「芦花部一番バア加那の碑」と書いた大きな案内がある。

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県道に車を停めて徒歩で集落に入って行く。

途中に、ばあ加那の住居跡。

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ブロック塀に囲まれた屋敷跡に入ると、すぐ左に石碑が建っている。

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バアカナの屋敷 ウントノチ跡 一九七三年一月建立」とある。石碑の周りは花に囲まれていて、それ以外は空地になっている。

ここに住んでいたばあ加那は「芦花部一番」に歌われる伝説の人である。生れついての美人であったが白川の水に磨かれて気高さを増し、美貌と気品は島中に知れ渡っていたという。

 

坂を上って突き当りは土砂か何かの工事中のようす。道路に沿って右側に水路があるが、これが白川の上流か?

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橋を渡ると階段は苔むしていて、伝説の地に相応しい雰囲気を醸し出している。。

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奥の方、林の手前に石碑がある。

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大きい碑の中央には「芦花部一番伝説の碑

左右に芦花部一番の歌詞。
 あしきぶいちばんやウントノチノバアカナ
  コハヤいちばんや さねくなハヤ
 ウントノチバアカナや しろこ水ごころ
  さりくちゃぬかずに しのばれて

芦花部で一番の美人は御殿地のばあ加那だ。小早船で一番早いのは実久(瀬戸内町)の小早船。うんとのちばあ加那は白川の水のような清い心を持ち、往来する人々に偲ばれる」(訳文は『碑のある風景』から)

裏にはびっしりと碑文が刻まれている。少し長いが分かりやすく書かれているのでそのまま書き写す。

伝説の主人公バアカナは今から凡そ三百年前、この下のウントノチという屋敷に住んでいた。生れついた彼女の美貌は由緒あるこのしろこ水によって愈々磨かれて美人ウントニチバアカナの名は島中に知れわたっていた。その頃島中の村々は上納の品を代官仮屋の所在地赤木名へ運び届けるのであったが或る日この上納を○○せて帰路についた瀬戸内の村々のコバヤ(大板付舟)は一斉に赤木名の浜を乗り出した。一緒に乗り出した舟は自然競漕となりそれまて一番になっていた実久のコバヤは芦花の沖合にさしかかると誰いうともなくこの機会に音に聞くウントニチバアカナを一目見て帰ろうということになり芦花部に上陸して望みとか伝えた。然し途中このようなみちくさを食いなからも実久のコバヤは瀬戸内の海に入るときには再び一番になったという。また当時ウントノチは龍郷方面への道端で通りかかりの旅の若衆はバアカナ見たさに水を欲しいとの口実で彼女の家に立ちより旅情を慰めていたという。これらのことが表面の歌詞となり民謡「芦花部一番」としてうたい継がれているものである。
 昭和四十八年1月(一九七三年)
    芦花部老人クラブ しろこ会


右後ろの小さい碑には短歌。
 そてつ粥
 食べし代は古り
 豊の秋
  ゆうこ
どういう謂れでここにあるのかは不明。

 

集落内を少し歩くと小さな教会がある。

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カトリック芦花部教会で、昭和4年に完成した建物だという。

右手に聖者像。

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よく見ると左側後方にお隣の南洲神社の鳥居が頭を出している。ちょっと珍しい組み合わせだ。

この南洲神社には前に来たことがある。
⇒参照 南洲神社 (芦花部) - 「大奄美史」紀行