「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

有良厳島神社・石祠と恵比寿像

大熊から海岸沿いに坂を登ると、防波堤に護られて深く切れ込んだ湾に面した名瀬の街が望める。

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道は山の中に入り、奄美カントリーを過ぎてしばらく山を下りていくと前方に海が見えてくる。

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山裾の少し高い所を通っている県道から集落に入る道を降りていく。川沿いに海岸の方へ進むと海岸手前に広場がある。

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ここは農林公園とのことで、展望台らしきものがあって広場には遊具なども置かれているが、建物内にも人の気配はなく、とにかく閑散としている。

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左のほうに鳥居が見えるので、橋を渡って行く。神社は海岸近くの山際にある。

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鳥居のすぐ先に案内板がある。

奄美市指定文化財案内
種別・名称 有形文化財(彫刻)「有良・厳島神社の石祠及び石造神像」
指定年月日:昭和59年11月20日
この石祠は、江戸時代(薩摩藩統治時代)の黍横目(砂糖黍の管理を行う役人)に関わる陰刻銘のある貴重なものです。
石祠の正面と側面にはそれぞれ次のような文字が彫刻されています。
(表面)奉寄進〇社一宇
(側面)享保三年戊戌八月吉日(享保三年は1718年)
    名瀬間切瀬師々子村住荻横目(瀬師々子村が現在の龍郷町龍郷)
              佐喜美(人名)
石祠内安置の石造神像は。烏帽子をかぶり、あごひげを長く伸ばし、右手に勺を持ち、左手には肩に担いだ稲穂の端を握っています。胸の円形は太陽をシンボル化し、太陽の恵みと豊作豊穣を祈っているものと考えられます。赤みをもった石灰石を用いており、地域独自の神像を彫出しています。
   奄美史教育委員会

「龍郷の人が何故ここに?」という疑問も湧くが、かつては有良も龍郷も「名瀬間切龍郷方」という同じ行政区域に入っていたから、何らかの関わりがあったのだろう。現在は奄美市(旧名瀬市)と龍郷町に分かれている。

奥に社殿がある。

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入口は閉まっていたが、錠が開いていたので(勝手に)扉を開けて中を見せてもらう。

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外から見るよりは内部は新しくてきれいだ。。

奥の方、祠の前が丸く空いていて、中に石像の顔の部分が見える。

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先ほどの境内の案内では、「石造神像」としか書いていないが、奄美市HPには、「有良厳島神社石祠および神体恵比寿像」とあり、これはいわゆる「恵比寿さん」を祀っているようだ。またこの文化財は「奄美における歴史の裏付け資料として貴重なものであり、また民俗文化財としても価値の高い資料である」(同HP)と書かれている。

 

神社の海岸側に碑がある。「平和の搭」と書かれ戦死者21名の名前が刻まれている。

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これは平成になってから建てられたものだ。