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「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

弁財天神社(根瀬部)

知名瀬方面から小さいトンネルを抜けると根瀬部という集落で、大和村との境界に位置している。海岸沿いの県道から集落内に入っていく。集落の中を通過して県道に戻る直前に神社の鳥居が見つかった。

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鳥居の先の石段を登ると境内奥に社殿がある。コンクリート造りの拝殿の手前には石灯籠、少し右側に手水鉢がある。神社名を表す社額のようなものはない。

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灯篭は昭和52年のもの。手水鉢は石造でやや傾いている。これが最も古そうだが、文字らしきものは読み取れない。

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拝殿は屋根と四本柱だけのオープンな構造で、奥に神棚がある。

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神殿上部中央に小さな祠に入った像がある。これが弁財天像か。

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左右にも像がある。左側の腹の突き出たのは布袋さんのようだ。

 

『奄美郷土研究会報42号』-「根瀬部集落誌と恵家小史」(恵原義之)によると、「村のオテラ(弁財天神社)は、記録によれば、1837(天保八)年、国直から奉納された。この場所は以前より何らかの聖域であったといわれる。内地式の寺と神社の形式が伝わった以降に社屋が建てられたものと推測される。一時「厳島神社」とも書かれていた」という。

また、『日本歴史地名大系(鹿児島)』(平凡社)には、「東に鎮座する厳島神社は明治二年に近在の仏像を集めて祀ったのが始まりという」とあり、廃仏毀釈との関連が想像できる。ただ、この神社の場所はどう見ても集落西側なので、元は東側にあったものを移転したのかも知れない。


境内は標高10mほどであるが、きれいな海が望める。

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