「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

小宿小学校と厳島神社 (小宿)

小宿集落の背後の山の頂上近くに、鮮やかな赤色の鳥居が見えるので、行ってみることにした。登り口が分からないまま、前に来たことがある名越左源太居住地跡の通りを入って行く。通りがかりの人に聞いてみると「小学校の中に登り口がある。今日は運動会だから入って行けばいい」と教えてくれる。道理でさっきからやたら車が多いと不思議に思っていた。

誘導されるままに隣の中学校のグランドに駐車して、保護者(孫の応援?)のふりをして校庭に入る。

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※この日は9月の末です。

 

ちょうど始まったところらしく準備運動の最中。

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号令は(意味がわからないが)島ことばらしい。
奄美で過疎の集落の学校を見慣れた目には、生徒数の多いのにびっくり。私が住んでいる首都圏近郊の運動会と様子は変わらない。

 

小宿小学校は、明治11年創立開校、平成19年に創立130周年を迎えている。近隣7町を校区としているが、この地域は名瀬のベッドタウンとして発展して、埋立地には団地が建設されて急激に人口が増加してきた。平成5年のピーク時には児童数は1025名にまでなったが、その後年々減少して現在の児童数は356名になっている。

※参考 小宿小学校HP

 

構内を少し歩いてみると、珍しいものがあった。

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戦前は普通にあったのだろうが、私は本土の学校では見たことがない。

 

さて、厳島神社の登り口を探すと、グランドの校舎反対側のポール真後ろに見つかった。

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鳥居を通ってかなり急な坂を登る。

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登りきると少し広くなったところに、麓から見えていた赤い鳥居がある。

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社殿もまだ新しい。

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壁にある「お宮建設委員会」のプレートの日付は平成20年になっている。

航海安全の神様らしく、境内には舟の名前を書いた札がいくつも架かっている。

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境内には特に神社の由来を書いたものはないが、『奄美郷土研究会報41号』「小宿神社設立について」(大津幸夫)によると、「1868年(明治元年)の神仏分離令によって寺院、観音寺、ノロの廃止を強力にすすめ、島民を政治支配するため各集落に「厳島神社」の建立が政府の方針として進められた。小宿厳島神社は弁財天から引き続いたものではないので、約140年前※に建立されたと考えられる」とある。
※会報の発行が平成22年なので140年前は明治3年に当たる。

 

神社の境内から見た小宿の風景。

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中ほどに県道が通っていて、その辺が昔の海岸線だったらしい。古い地図を見ると現在より湾が大きく内側に入り込んでいる。