「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

小湊フワガネク遺跡

名瀬市街から朝戸トンネルを抜け、国道から分岐して山あいを進んだ突き当りが小湊である。こちらは太平洋側で、ここまで来ると同じ名瀬市(旧)とは思えない。古くはこの地域は古見方といい、名瀬方とは別の行政区域であった。明治41年に統合して名瀬村、大正11年名瀬町と分離して三方村を新設、昭和30年に再び名瀬市と合併している。

 

小湊集落に入るときに最初に目に入るのが、「小湊フワガネク遺跡群」と書かれた案内。

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名瀬市指定文化財 小湊フワガネク遺跡群

指定年月日 平成14年3月22日

小湊フワガネク遺跡群は、「奄美看護専門学校」が建てられている海岸砂丘一帯に広がる大型遺跡で、その面積は25000㎡に及んでいます。
これまで6回の発掘調査が行われていて、おおよそ4世紀から12世紀に至るまで、約800年の長い期間にわたり遺跡が営まれてきた事実がわかりました。
中でも7世紀前後に位置付けられる遺跡が広範囲に認められ、奄美諸島特有の土器である兼久式土器をはじめとして、ヤコウガイ製貝匙、イモガイ製貝札、貝製玉類等の南西諸島特有の多彩な貝器、そして鉄器、石器等が出土したほか、掘立柱建物跡4軒、貝匙製作跡5箇所等の遺構も確認されています。~以下略

特に6世紀から8世紀の奄美地域の生活を復元したこと、ヤコウ貝の貝製品の生産を行っていたことが確認されたことに重要な意味があるらしい。


地図の部分を拡大

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この案内のある場所から左側一帯が遺跡範囲になる。

 

左側の道路に入ってみる。

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道路の両側は原野のような広大な地域である。蘇鉄の群生地だと言うが道路からはあまり見当たらない。むしろ松林という感じである。

 

回りを半周してところどころ樹木の切れ目から中に入っていってみるが、草地や畑で、特に発掘跡と分かるようなものはない。

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先ほどの案内板からまっすぐ行くと左側は奄美看護福祉専門学校の大きな敷地と校舎。

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平成7年に奄美看護福祉専門学校が開校、平成9年に学校の拡張事業の際に、遺跡が発見されてその一部が事業計画区域内にも含まれていたため急遽発掘調査が実施されたという。平成12年からは、遺跡の保護保全を目的とした遺跡範囲確認の発掘調査が実施されている。

これは案内板にある出土物の拡大図。

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出土物の一部は奄美博物館に展示されている。


遺跡の方は切り上げて、集落の中を通って海の方に出る。海岸は広々としている。

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堤防の高いのにびっくり。

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堤防の内側にはボートや漁船が係留されているが、あまり数は多くない。

『海南小記』(柳田國男)に小湊の名がが出ていて、「たまに向こうから人が来ると、必ず頬被りをして六尾七尾の鯛を担っている。小湊付近は鯛の魚のよく捕れる処だ。」という一節がある。尤も行程図をみる限りでは、柳田は小湊までは来ていないようだ。

 

 

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