「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

銅山坑道跡 (屋入)

特攻基地跡より少し国道寄りに、「銅山跡」と書いた案内があり、山の方に向かって道が伸びている。

f:id:hn2784:20140925175439j:plain

途中何軒かの建物があり、観音像が建っていたりする。

f:id:hn2784:20140925174620j:plain

 

建物の途切れたところから坂道を登っていくと少し広くなったところがあり、ここまでは数か月前にも来たことがあるのだが、特攻基地跡と同様、藪ばかりで先に進めなかった。

今回は整地されていて、川に沿って先に進み橋を渡る。

f:id:hn2784:20140925174808j:plain

 

山肌に隠れるようにトンネルらしきものが口を開けている。

f:id:hn2784:20140925174949j:plain

 

近寄ると岩がむき出しになった坑道。

f:id:hn2784:20140925175000j:plain


奥まで続いていそうだが、どれくらい深いかよく分からない。

f:id:hn2784:20140925175011j:plain

左側にコンクリートのトンネルのようなものがあるのも気になるが、手前からかなり水が溜まっていて近寄っていけない。

 

ここは鉱山にしては人家からそう離れていない。最初の頃は、坑道から鉱石をかついでおろして少し下の方で精錬していたという。精錬にはサンゴを割った石灰石を銅鉱石と混ぜて、木炭で溶かしていた。火をおこすために5~6人でふいごを踏んでいた。
戦争時には、坑道を利用して横に支線を掘って魚雷を2本入れていたという。
※参考『龍郷町誌』

 

いつ頃まで銅鉱石を掘っていたのかなど、詳しい子ことはよく分からない。大島で他に銅山跡があるとは聞かないが、銅が算出したのはここだけだったのだろうか。


海沿いの道路に戻り特攻基地跡の少し先まで行くと、道のそばに2基の墓石がある。

f:id:hn2784:20140925172444j:plain

龍郷町誌』の集落図と見比べると、これは「ヤンチュ墓」のようだ。表面が傷んでいて、文字は読み取れない。右側に「享和元年・・・」とかろうじて読める。

 

広告を非表示にする