「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

海軍特攻基地跡(屋入)

瀬留教会の前に「歴史とロマンの散歩道」という案内板があり、「ウィヒサマタ」「海軍特攻基地跡」「銅山跡」というのが、竜郷湾の東岸の屋入というところに重なるようにポイントされている。

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竜郷湾の西岸は西郷南洲住居跡などいくつか名所があるが、東側はあまり通る機会もない。今回はその東側にある海軍特攻基地跡に行く。赤尾木方面から屋入トンネルを出て、有名な鶏飯の店の手前を右折する。
道路わきに「特攻基地跡」の案内。

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実はこの数か月前にもこの場所に来たのだが、その時は少し入ると藪が繁っていてそれ以上はとても入れる状態ではなかった。今回は刈り取られて先に行けるようになっている。

少し広くなったところに、格納壕らしきものが見える。

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近寄ってみると、しっかりとコンクリートで固められた入口。

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内部は奥の方から落ちてきた土砂で埋まりつつある。

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ここは「海軍特攻基地跡」とあるだけで、他に説明もなくどういう特攻の基地であったのか分からない。この壕の形、大きさは呑之浦で見た島尾隊の「震洋」の格納壕と似ている。
ところが、島尾敏雄は震洋基地跡を巡ったシリーズの中で、次のように書いている。
ただ、奄美地区への配置だけは、そのすべての部隊とそれぞれにかかわりを持っていた故に凡その事情はわかっていたから(その地区には加計呂麻島に二個隊、奄美大島がわに一個隊、それに喜界島に二個隊が配置されていた。しかも加計呂麻島以外の三個隊の基地は先に進出した加計呂麻島の震洋隊にその選択が命じられていたので、私も上級指揮官の驥尾に付してそれぞれの場所を選んで具申したという事情があった)自分がいた呑之浦の他に、姉妹隊だった同じ加計呂麻島三浦の第十七震洋隊や、大島海峡を挟んだ大島側の久慈湾にあった第四十四震洋隊、そして喜界島早町の・・・
 ~『震洋隊幻想』より~

これを読む限りでは「震洋」の基地は龍郷にはなかったということになる。

海軍の特攻兵器には他に人間魚雷{回転」や潜航艇「蛟龍」「海龍」などがあるが、あまりこの格納壕に似合いそうにない。兵器についての知識があるわけではないので、何か資料を見つけるか、知っている人に聞く機会があればと思うが・・。

この周囲には壕はこれだけで、他に見当たらない。この1つだけが保存されているようだ。

県道に戻って樹の間から海岸のほうに降りる。
右手に石垣のようなものが海の方に伸びている。

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『龍郷町誌』によると、この場所にあるのは海軍桟橋跡の筈で、そのそばにも何かありそうだが、潮が満ちていて近寄ることができない。ここから水や石炭を伝馬船で運んで、軍船に積み込んでいたという。

 

この付近は道路の海側に民間の施設などがあって、海岸の様子も変わりつつあるようだ。道路わきにウィヒサマタと書いた案内があるが、これが何かよく分からない。

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最初は何かの史跡のことかと思ったが、そうでもないらしい。この辺の地名なのか、特定の場所のことを言っているのか、ちょっと謎である。