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「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

あやまる第2貝塚/蘇鉄の群生 (須野)

歴史民俗資料館であやまる第2貝塚への行き方を教えてもらって、さらに奥の方(というか海岸方向)に進む。
蘇鉄が目立ってきて、やがて「あやまる第2貝塚」と書かれた案内がある。

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中に入っていくと「あやまるソテツジャングル」の案内。

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昔、奄美大島においては、食料難の際は、ソテツの種子や幹を利用した「蘇鉄カユ」「ナリ味噌」を唯一の食料として切り抜けたといわれ大事に育てられていた。また、海岸山地を問わず、いかなる痩せ地にも生育し、奄美の気候、風土にあった植物である。
奄美各地には、たくさんのソテツが自生しているが、殆どが山や赤土に群生しており、ここあやまるのソテツは砂地に群生している規模としては奄美一であろう。

奄美の蘇鉄について私の乏しい知識で書こうと思っていたことが、ここにほとんど書かれてしまっている。

中に入るとまたソテツの案内。

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ソテツ
1億5千万年以前のジェラ紀に全盛を極め繁殖したといわれる古い植物で、前生代の生命を今なお持続している生きた標本です。雌雄異株で精虫によって受精します。ソテツは葉を肥料に、種子を味噌、醤油の原料に茎を澱粉に精成し、食料に利用していたといわれています。方言でステイチともいいます。
環境庁鹿児島県

ジュラ紀はイグアノドンやステゴサウルスなどの恐竜が闊歩していて、植物ではソテツの他、マツやシダなどが繁殖していた時代である。

しばらく行くと今度はあやまる第2貝塚の案内。

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あやまる第2貝塚
縄文時代から弥生時代(「今から2500年前)の貝塚です。1983年(昭和58年)に町教委によって発掘調査が行われました。調査の結果縄文時代の土器片と弥生時代の生活跡が確認されました。
出土遺跡は町歴史民俗資料館に展示保管されております。
笠利町教育委員会・歴史民俗資料館

出土品は資料館に展示・保管されているというが、先ほど見て来たばかりなのによく覚えていない。

この辺りがメインの発掘跡のようで、一帯が草地になっている。

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海岸はすぐそばにある。

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砂地がかなり内部まで入り込んでいて、貝塚は砂丘上に広がっていることが分かる。

ここが第2貝塚なら、では第1はどこかと聞きたくなるが、第1貝塚はあやまる岬の南の方らしい。


右手の方を見ると岬の突端に建物があり、これがアヤマル岬の展望台のようだ。

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行ってみると、ここは遊具などもあって広い公園になっている。資料館以降誰にも出会わなかったが、ここまでくると何組かの観光客がいる。

海岸にはプールがあるが、自然の地形を利用しているらしく、他ではなかなか見られない。

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あやまる岬とは妙な名前だが、もちろん「謝罪・反省」の意味ではなく、こんもりとした地形が「綾に織りなす鞠」に似ているということからきているらしい。