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「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

断崖の要塞・安脚場戦跡 その2

***前回から続く***

 

こちらは弾薬格納庫。大正9年に小銃、機銃の弾薬を格納するため陸軍が構築、太平洋戦争時は海軍が兵器庫として使っていたという。

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屋根は露出していて(偽装はしていたのだろうが)、砲弾用の弾薬庫に比べると堅牢さはかなり違うようだ。

窓もあって中はかなり広い。普通の執務室としても使えそうだ。

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安脚場戦跡の中でもひと際存在感を見せているのが、この防備衛所。

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昭和16年に構築された施設で、潜水艦の侵入を防ぐための防潜網や機雷の敷設、潜水艦の監視、機雷による爆破などをコントロールしていた。

内部の部屋割りの跡もそのまま残っている。

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階段を登ると2階部分から外に出ることが出来る。

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目の前にあるのは探照灯台か。

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右側に目をやれば、本島側から太平洋に突き出した皆津崎。

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皆津崎にも砲台があったという。かつては軍用道路が通っていたのだろうが、見るからにちょっと行けそうもない。

 

安脚場戦跡公園は、戦跡としても見どころが多いが、岬や対岸の山々が複雑に重なる海峡の景観と、断崖の上からの広い太平洋の眺めを同時に楽しむことができ、景勝地としても素晴らしいところだ。尤もこんなことは平和な時代の旅行者だから言えることであり、遠く故郷を離れて配備された兵隊さん達にこの景色がどう見えていたかは分からない。

 

『大奄美史』では、「明治以後の主なるできごと」という章で、「大正十年古仁屋に築城本部を置き、 西古見・実久(エニヤ離れ)・アンキャバを要塞地として砲台を築き、薩川湾を軍港となす」と簡単に書かれているのみである。そもそも軍事に関することは、『大奄美史』のテーマからは離れていたようで、「明治大正時代(近代期)」に130ページほどを割いているが、戦争や軍と奄美との関わりについての記述は全くない。
ちなみに昇曙夢は大正4年から昭和7年まで陸軍士官学校で教授としてロシア語を教えている。