「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

諸鈍シバヤ(大屯神社祭)は素晴らしかった (2)

***前回から続く***


休憩中に出演者たちが箱を担いで現れる。

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観客に配られたのが力飯。食べると1年間は無病息災とのこと。

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さて、後半も見せ場が続く。

【こどもシバヤ】
演じるのはこの地区の保育所に通う男の子たちである。20年後、30年後の諸鈍シバヤを担う、世代を繋ぐ最前線の人材だ。
まず「サンバト」で、翁が登場。

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「三千年の昔より・・・」と口上を述べる。
「鳴子を持ってこい!!」の声で、鳴子持ちが現れる。

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掛け合いで場内を笑わせる。

続いて太鼓を先頭に刀や鎌を腰に着けた子供たちが登場。

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この脚の上がり具合。なかなかの芸達者である。

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【シシキリ】
いきなり会場後ろから、シシが飛び出してきて観客を驚かせる。美女を襲ったシシを狩人が退治するという寸劇だ。

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シシと狩人のくんずほぐれつの格闘が面白い。

 

【ダットドン】
ダットドン(座頭殿)がすりかえられた琵琶を探して川を渡るようすを演じている。杖を頼りに歩いたり、川でしゃがみこむ様子など、ユーモラスな仕草で笑わせる。

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「ダットドンはどこか。川んぶちゃくまじゃ」の囃子が最初から最後までリズミカルに繰り返され、これが妙に耳に残る。


【カマ踊り】
豊年感謝と来年の豊作の願いを込めて木製の鎌を持って陽気に踊る。

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「夜を待ちきれない元気な若者が・・・」と解説がある。

 

【タマティユ】
中国の美女玉露(タマティユ)が親不孝をしたために大蛇に食べられるという話。唯一の人形劇で、楽屋の前で演じられる。

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大きく首をもたげる大蛇に迫力がある。

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【タカキ山】
いよいよ最後の演目。太鼓を先頭に7~8人が現れて、にぎやかに円陣を組んで踊る。

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最後にシバヤ人衆が勢ぞろいして拍手を受ける。

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郵便局長発声の万歳三唱の後、六調を踊ってお開きとなる。

お疲れ様でした!!
これだけのものを今の時代に継承していく集落の人たちの努力も大変なものだと痛感する。
大満足で大屯神社を後にする。


諸鈍シバヤは明治初年頃までは村の祝祭日などに盛んに催されていたが、当時の人々が興業化を試みて、徳之島で大失敗を演じてから絶えてしまう。その後大正の始めに復活して諸鈍小学校で演じられたのが、現在につながる諸鈍シバヤだそうである。色々な時代のものを取り入れて、観客を飽きさせない多彩な演出には、そういう長い歴史を感じさせるものがある。

 

『大奄美史』でも諸鈍シバヤについては1つの章を設けて詳しく解説している。昇曙夢氏も観劇したことがあるようで、「著者は昭和11年の夏大島郡農会と教育界の招聘で全郡を巡講して諸鈍に行ったが、その日はちょうど旧8月15日に相当するので、村の人たちは歓迎相撲を催し、その仲入として、しばらく絶えていた諸鈍芝居をわざわざ復興してみせてくれたが、その時の印象は今でも忘れない」と書いている。

また、終りの方では「昭和11年に著者が親しく観劇した時にも、大正3年の再興の時に作った小道具や衣装類はもはや虫切れがして用に立たないので、新たに速成の小道具で間に合わせたということであった。こんな風ではあと10年もたったらどうなるかわからない。幾分でもその型の残っているうちに保存の方法を講じなければ、由緒ある芝居そのものまで湮滅してしまうだろう。・・・こうした由緒ある芸能は島の宝であるから、これを失うことは貴重な文化財の喪失である」とあり、この伝統芸能の継承にかなり危機感を持っていたようである。

 

⇒参照 大屯神社 (諸鈍) - 「大奄美史」紀行