「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

瀬留カトリック教会の聖堂と司祭館 (瀬留)

 龍郷町役場前から県道に入って海岸に出る少し手前にカトリック教会がある。奥の方に歴史を感じさせるきれいな建物が見える。

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左側が教会の聖堂で左奥が司祭館である。どちらも「国土の歴史的景観に寄与している」として、平成20年4月18日に有形文化財に指定されている。

聖堂を別の角度から。

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北側を寄棟造、南側を入母屋造とし、南面に切妻造の玄関を突出させた構造である。明治41年の建築で昭和24年、62年に改修されている。

 

大島に教会の数は多いが、文化財になっているのはここだけではないかと思う。大島の教会には規模の大小はもちろん、建てられた(または建て替えられた)時期などにより、いろいろな造りのものがあるので面白い。

それにしてもフェリエ神父が来日して名瀬で布教を開始したのが明治24年で、10数年後には龍郷でもこれだけの建物が造られていたのだから驚きである。当時の布教の勢いをうかがい知ることが出来る。

 

横手の方にブイジュ神父の胸像が建っている。

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ブイジュ神父は1868年フランスの生まれで、24歳で神父になり長崎に派遣される。1903年瀬留の地に着任して、瀬留教会を中心に19年間にわたって司教活動をする。

隣に「奄美大島歴代宣教師故人銘碑」がある。

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パリ外国宣教会長崎教区時代(1891年~1921年)の先頭にフェリエ神父、中央付近にブイジュ神父の名がある。

 

『大奄美史』には、ブイジュ神父の名は出てこないが、フェリエ神父の事績の中で、「大正七年の調査によれば、大島における天主公教会の信徒数は3799人、教会堂は知事認可教会9、仮教会4に達し、宣教師はフランス人宣教師2名、・・(中略)・・。これらの宣教師が絶海の孤島に一切の不便を忍び、万難を排して島民の強化に尽した功労はもとよりこれを記憶しなければならないが、・・」と書いている。このフランス人宣教師2名のうちの1人がブイジュ神父なのだろう。

 

教会から少し北へいったところに、ブイジュ神父の墓がある。入口に案内がある。

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滞在中、信者たちだけでなく集落の人々と親しくつき合い、地域の文化にも貢献したと言う。本国に帰ることなくこの地で54歳の生涯を終えている。

上の方の墓地に行ってみたが、どれがブイジュ神父のお墓なのか特定できなかった。

 

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