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「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

嘉徳遺跡の発掘跡地

嘉徳集落に入る手前に小さな川が流れていて、橋のそばの草地にこんもりとした植え込みのようなものがある。

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前に嘉徳遺跡の白い案内板が建っている。

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嘉徳遺跡発掘跡地
1. 発見   昭和48年8月14日
2. 発掘原因 砂丘から砂採取中に土器の破片を発見。
3. 鑑定   発見遺物は鑑定の結果縄文後期時代(今から3000年~4000年前)のものであることが判明。
4. 発掘   昭和49年文化庁補助事業として瀬戸内町教育委員会が発掘
5. 発掘年月日 昭和49年8月3日~同10日
  瀬戸内町教育委員会

 

瀬戸内町立図書館HPに解説があるので、要約する。
この遺跡は嘉徳川河口左岸の海岸砂丘に位置していて、砂採取工事中に偶然発見された。瀬戸内町では初めて発術的な調査が行われた場所である。
嘉徳遺跡では多種多様な遺物が出土していて、その中でも新たに発見された土器には「嘉徳式土器」と命名されて、南西諸島の縄文後期の指標土器の1つになっている。南西諸島の土器の他に、南九州の土器も出土していて、当時から海上交流が盛んであったことが伺える。
出土した土器はいずれも奄美群島の在地土器であり、縄文時代後期(約4,000年前)の土器である。郷土館では6点(面縄前庭式土器、二重口縁面縄東洞式土器、嘉徳ⅠA式土器、嘉徳Ⅱ式土器、嘉徳式土器)が展示されていて、いずれも町の有形文化財に指定されている。

 

遺跡は業者の砂採取中に包含層が露呈して発見されたが、半ばは工事中に失われていて残存部分が調査された。宇宿貝塚の調査以来停滞していた奄美先史研究に飛躍的な発展をもたらしたという。
この少し前に宇宿貝塚を訪れたが、宇宿下層式には、文様によって「嘉徳Ⅰ式」「嘉徳Ⅱ式」などに分類されているものがあり、この遺跡には宇宿貝塚と同類のものが多いようである。
※参照 国指定史跡・宇宿貝塚(宇宿貝塚史跡公園) - 「大奄美史」紀行

 

それにしても周囲の地形を考えると、陸伝いに山を越えるのはほとんど不可能だろうし、舟を使うにも湾外に出なければどこへも行けないから、大変なところではなかったかと思う。よくこういう場所に4000年以上も前に人が住みついたものだと感心してしまう。

 

 

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