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「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

厳島神社 (赤木名)

赤木名市街の東側の山の麓に3つの神社がほぼ等間隔に並んでいるが、厳島神社は一番北側の海に近いところにある。
車で行くと探すまでもなく、道路のすぐそばに赤い鳥居が建っている。

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坂を少し登っていくと、5~6段の石段の上に赤い社殿がある。

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石段途中に海抜15mの標識がある。菅原神社の境内には海抜28mとあったので、こちらの方が少し低い。

 

こじんまりとした社殿であるが、背景の森の緑とマッチしている。

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壁のプレートから昭和41年に建てられたものと分かる。
手前にある手水鉢と隣の小さい石搭はそれより古そうだが文字などは読み取れない。


ドア越しに内部を拝見した。

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周囲の壁に日の丸がいくつもかかっていて健康長寿などの文字と人の名前が書いてある。奥の一番新しいのには平成18年、平成20年生まれの人名があり。子供の健康を祈願したもののようだ。

神殿両側に額に入った鳥居の図があるが、よく見ると硬貨を並べたものだ。


境内には由来を書いたものは見当たらないが、隣の中金久の菅原神社の境内にある由来の中で、この厳島神社のことにも触れている。
『笠利町誌』によると、明治以前は弁天宮と呼ばれていて、明治4年に厳島神社と改められた。明治30年頃に外金久の氏神となって、中金久から移転している。航海、芸術の神として、また安産のための祈願は今なお絶えないという。神体の弁財天像は天保9年(1838)の石工浜田龍助作、鰐口は宝永7年(1710)与人古見三統の寄進によるものだとある。


境内からは北西方向を見たもので、家並みとその向こうの海が見える。

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