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「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

大屋神社 (用安)

集落背後の小高いところに白い鳥居が見えたので、行ってみることにした。狭い道を登り、鳥居の手前の何とか切り返せそうな場所を見つけて車をとめる。

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鳥居の社額には「用安中城 大屋神社」と書かれている。
「中城」は「なかぐすく」と読むのだろうか。「大屋」も「おおや」でいのかどうか分からない。

 

鳥居の先、樹々の間に社殿が見える。

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境内入口の石段のところに石碑がある。

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右側に碑文。
用安中城山軒堂
大屋神社大屋五郎魂の由来
昭和四十三年夏此の地の千キ
ロメートル離れた明石市魚住町
住んで居られる霊能者管隆香先生
に「奄美大島用安に往け」という
神のお告げがありその場所に行き
ました。その山はトールという山
で山主と相談の上その山を掘りま
したところ人骨を発掘致しました。
お告げで、大屋五郎翁であるとわ
かりました。大屋五郎翁は室町
時代琉球で高名なお方で○○○
戦乱に巻き込まれ割腹されて此の
地で果てました。その大屋五郎霊を
お祀りするために建てられた神社
が用安中城山軒堂大屋神社です。

「与湾」や「大親」という字句は出てこないが、文の内容からみて与湾大親五郎を祀っているようだ。「昭和43年に神のお告げで・・・」とあるが、伝承というには時代が新しすぎるし、事実とすれば不思議な話だ。


左の石碑はかなり古く、文字などは読み取れない。

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境内には緑色の屋根の祠など、いくつかの建物がある。

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用安には集落から少し離れたところに、与湾大親五郎を祀る大親神社があるが、1つの集落の中でどのように棲み分けているのだろうか。

⇒参照 大親神社(用安) - 「大奄美史」紀行

 

 

 

 

 

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