読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

喜子川遺跡 (土盛)

宇宿貝塚から土盛集落を通過して北上していくと、県道脇山側の草地に喜子川遺跡の碑が建っている。

f:id:hn2784:20140613181401j:plain

岩に嵌められたプレートに案内文。

f:id:hn2784:20140613181332j:plain

喜子川遺跡(きしかわいせき)
喜子川遺跡は1982年に発見され、当時南島でも古い遺跡に位置付けられました。
発掘調査は学術調査団を組織して、高梨学術奨励基金や笠利町から援助を頂いて進められました。1987年の第1次調査から1992年の第7次調査まで行われています。
調査の結果「爪型紋土器」・「アカホヤ火山灰層」・「集積遺構」等が層をなして確認されました。当遺跡は南島の古い時代を代表するとても貴重な遺跡であり、保存されることになりました。
出土遺物は笠利町歴史民俗資料館において、展示・保管されています。
     1996年建立 笠利町歴史民俗資料館

 

遺跡は12層に区分されている。第3層に爪型紋土器が出土していて、これは第7層にあるアカホヤ火山灰層(6400年前)より新しく、縄文時代草創期の爪型紋土器(12000~10000年前)とは異なる系統の可能性が強いとされている。
アカホヤ火山灰層の下層からは集石遺構、配石遺構、積石遺構などが出土。第9層から第10層にかけて24000年前のAT火山灰が検出されていて、奄美大島に旧石器文化のあったことが示唆されている。
※参考 『日本歴史地名体系』(平凡社

 

少なくとも2万数千年前には奄美大島に人が住んでいたらしい。笠利地区にはたくさん遺跡があるが、この喜子川遺跡のものが最も古い年代のようだ。

この辺り一帯は一面の草地が広がっている。大昔は海岸にかなり近かったのだろう。

f:id:hn2784:20140613181316j:plain

昭和57年に畑地総合開発事業で遺跡の断面が露出したことにより、発見されたそうだ。

 

広告を非表示にする