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「大奄美史」紀行

   奄美大島の史跡を訪ねます。

城間トフル墓群(2)

****前回の続き****

8号トフル墓からさらに先に進む。草原に屋根だけの小屋がいくつもあって、何だろうと思って近づいてみると、ヤギがくつろいでいる。

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寝るときに中にはいるのだろうか。のどかな光景である。

地図によると直進すると7号トフル墓の筈だが、行き止まりで道らしきものがない。
やむを得ず、左折して山道を5号、6号方面に向かう。

こちらは案内のプレートもあって整備が行き届いている。

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案内文によると、このような墓地は喜界、徳之島にも類例があるが、5・6号墓のようにきれいに造形されているものは珍しいという。

 

これは手前にある5号トフル墓。周囲の石組みもきれいに残っている。

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こちらは奥の6号トフル墓。

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この案内文はちょっと興味深い。
城間トフル6号墓
この6号トフル墓内部には川畑家祖先の墓と刻名のある墓石があり、その他モーヤと呼ばれる石造霊屋や甕、壺、皿、茶碗などが収められている。人骨は全て改葬されて収められており、現在でも大切に管理されている。墓石搭には享保元年(1716年)の年号も読める。人骨も含めたトフル墓群は学術的にも貴重な史料である。
またこのトフル墓は第2次世界大戦中には、防空壕として使用され、入口部分はその時にコンクリートで補強されている。

内部の図面と写真もある。

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内部は幅4m、奥行3.6mだから、8畳間くらいか。
写真には、甕と人骨が見える。

 

津代古戦場跡に行ったときにアナバリトフルという墓を見たが、そちらの方は洞窟が「遺跡」として残っているだけであるが、こちらは「祖先の墓」として現在にまでつながっているようだ。
※参照  津代古戦場跡(手花部) - 「大奄美史」紀行

 

この後、3号、4号のある辺りを探しながら行くが、それらしいものが見つからないまま県道まで戻ってしまう。9号まであるトフル墓の内、1,2,5,6,8号と一応半分以上見たことになるので、とりあえず満足して今回は引き上げることにした。

 

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